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【軍事】泣ける話【part6】

1 :名無し三等兵:04/02/25 23:50 ID:VfaVMLO/
軍隊にまつわる泣ける話 part6です

過去スレ
1 http://yasai.2ch.net/army/kako/984/984375960.html
2 http://yasai.2ch.net/army/kako/995/995188351.html
3 http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1004354273/l50
4 http://bubble.2ch.net/test/read.cgi/army/1015673299/l50
5 http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1058872641/l50

自営業阻止厳禁



2 :名無し三等兵:04/02/25 23:51 ID:???



3 :やってしまえTrue/False ◆ItgMVQehA6 :04/02/26 01:00 ID:???
>1 乙。


そして

           3げっと!> ∧二∧
        _____/  (´∀` )
     _        | ̄|--| ̄~| ̄| ̄ ̄ヽ
    ()) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |  | 「」 |
     ~ ̄ ̄ ̄区二二二|  |   |    |
           ___|___|=|_____|______|___|__   ___
     ____/_==__/_/----/ ̄|    ヽ~^-) ) )=
    /____7____----~---__/ ̄ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
    ヽ===/________V≡≡|~)~~(()~~(()~~(()~(~)
     ヽ==\_______V===7|√ |√|√|√|√|/
      ヽ===√λλλλλV===/ λ λλλλ/

4 :名無し三等兵:04/02/26 02:14 ID:BOErEUeC
乙であります!

5 :別スレから出張:04/02/26 06:59 ID:2AsB60VI
漏れが知ってる山本五十六のこと。

漏れのじい様が若い頃病気で倒れ、今夜が峠という日に、五十六氏が
見舞いにやって来た。じい様と五十六氏は海軍兵学校で同窓生で友達
だったらしい。

家の者はじい様が死んじゃうかもしれないってことで、家中バタバタしていて
ろくな対応ができず、いつのまにか五十六氏が見えなくなったので、ばあ様
(じい様の妻)あたりは帰ったんだろうと思ってた。

次の日の朝、峠を越してホッとして、病室にしていた部屋の続きの間の
ふすまを開けると、五十六氏が暗い部屋でビシッとした姿勢で、正座していた。
聞けば、一晩中そうしていたそうで、「峠を越えたようですな」というと、そのまま帰っていったという。

http://society.2ch.net/test/read.cgi/mass/1077191704/857

6 :名無し三等兵:04/02/26 18:30 ID:???
>前スレ989氏
俺の伯父もシベリア抑留を体験していました。
20年近くも前に亡くなりましたので御祖父様の情報などで
お役には立てぬと思いますが。
昔話を聞いたところでは随分と辛い思いをしたようでした。
御祖父様のご冥福をお祈りいたします。

7 :名無し三等兵:04/02/26 18:37 ID:???
泣ける話

軍板の軍オタは現代の自衛隊の殉職者のためには
泣かない。

8 :名無し三等兵:04/02/26 19:30 ID:???
>>7
過去ログ読んでいれば、その結論にはならないが。

9 :名無し三等兵:04/02/26 19:41 ID:???
釣られるなって

10 :名無し三等兵:04/02/27 00:11 ID:???
広田 弘毅
東京裁判のA級戦犯。
首相として、あの軍部大臣現役武官制を復活させ、日独防共協定を結んだ人物でもある。
だが、首相としてはともかく、マイホームパパとしては合格点だったようだ。
裁判には必ず2人の娘が傍聴に訪れ、夫人は夫に後顧の憂いがないようにと自ら命を絶った。
広田はその後も、獄中から出す家族への手紙の宛名には、必ず妻の名を書いた、ということだ。

11 :名無し三等兵:04/02/28 02:09 ID:???
洞窟の兵士たち。―――村中英一(91歳)

 図書館で昭和十一年に起こった若手将校の反乱二・二六事件に関係のある本を探し読んでいる。鮮やかによみがえるのは、満州は綏芬河で会った国境警備隊の兵士たちの姿である。
 私は二十六歳の昭和十四年、自動車隊員としてノモンハン事件に召集。停戦となり牡丹江から綏芬河へ、冬を前に山岳地帯の国境警備隊に暖房用石炭をトラック輸送した。
 岩山の中腹に掘った洞窟には、所々機関銃のように偽装し黒く塗った竹筒が、はるか対岸のソ連領に向けて突き出ていた。
 石炭を下ろし小休止、守備兵と言葉を交わし、彼らが二・二六事件の反乱軍の兵士たちであることを知った。
 私が東京で二年間自動車の運転手をしていたことを話すと、むさぼるように東京の様子を聞いてきた。だが小休止もわずか十五分では突っ込んだ話はできず、今も悔やんでいる。
 石炭の煙で黒光りする洞窟の壁。兵たちの顔も服も黒く汚れ、その一人が言った。「入隊してもう七年になります」と。私は言葉が出なかった。
 あれから六十余年、暗い洞窟でうごめいていた兵士たちの姿が忘れられない。彼らは生きて祖国日本に帰してもらえなかったのではないだろうか。

中日新聞2月26日付より


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