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【思い出】名舞台、名場面【記憶】

1 :重要無名文化財:04/03/10 20:32
今までに感動して心に残っている舞台語りましょう。

2 :重要無名文化財:04/03/10 20:38
2げっと

3 :1:04/03/10 20:42
最近の舞台だと
一昨年の菅原の通しの寺子屋、忠臣蔵の通しの大序〜四段目が良かった。

4 :重要無名文化財:04/03/10 21:50
>3
おととしの忠臣蔵通しに同意。
演舞場でやったのですよね?道行の新之助が良かったのと、
あれがマモルさんの最後の舞台になるとは思わなかった。

5 :重要無名文化財:04/03/10 22:05
一昨年は歌舞伎座!

6 :重要無名文化財:04/03/10 22:09
歌右衛門最後の舞台の井伊大老。
先代の幸四郎の白鸚襲名のときも見ていたから、
やべえ、歌さんこれが最後じゃないかと胸騒ぎがしたな。

7 :重要無名文化財:04/03/10 23:15
梅幸最後の玉手だな。
漏れが歌舞伎見るようになった時、彼はすでにピークを過ぎていて、
正直、それまでどこがいいのかわからずにいたんだけど、あの玉手にはぶっ飛んだ。
凛として美しく、少女の透明感、ひたむきさというか必死の思いが溢れていて、
初めて梅幸の舞台で感動した。その後も三千歳を勤めたはずだが、
漏れが行った時にはもう休演していたので、個人的にはあれが梅幸最後の舞台だ。

8 :重要無名文化財:04/03/10 23:26
最後の舞台の話が続いてすまないが、宗十郎最後の蘭蝶も忘れられない。
切り口上で、20世紀の締め括りに家の芸である蘭蝶を勤めることができて嬉しい、
こんなに可愛い芝雀さんと、若い八十助さんの八十助としての最後の舞台に
一緒に出られて嬉しいというようなことを、痩せた体で、にこやかに話していた。
あの姿は思い出すたびに胸が詰まる。もっともっと見たかったよ。。。。。

9 :重要無名文化財:04/03/10 23:55
あの豊満な紀伊国屋が痩身になっちまってな・・。
数年前にお坊吉三勤めたときは全然元気だったのにな。
さっぱり系の役者が多い昨今で数少ない濃厚な味があった
役者だっただけに、あまりにも早い死が惜しまれる。
漏れも、もっと紀伊国屋の舞台は見たかった。

10 :重要無名文化財:04/03/11 00:15
紀伊国屋さん、楽しく面白い人でした。朗らかでカラッとしていて、
素顔も素敵な方でした。
猿之助の小栗判官「壇風」の場。矢橋の(役名忘れた)で、オーレー
オレオレに合わせ、舞台でサッカーやったのが忘れられません。
今健在なら どれほど舞台が厚くなったか、ほんと「亡くなってから
重さを感じる」人。代わりがいないという意味で「元気で生きてりゃ
人間国宝」の可能性まであったんじゃなかろうか。

11 :重要無名文化財:04/03/11 00:16
>>7-6
何かこんな時間に泣けてきた

12 :11:04/03/11 00:17
すまん、>>7-10だ。

13 :重要無名文化財:04/03/11 00:20
良いスレ発見。自慢しあいましょ。
胸が詰まるというより、本当に涙が溢れたのは....
昭和50年代の歌舞伎座。勘三郎の駒形茂兵衛に歌右衛門の
我孫子屋お蔦。2階と下の会話を聞いているだけで、
困るほど涙が出てきました。感動=涙と考えれば、これが一番です。

14 :重要無名文化財:04/03/11 00:25
同じ中村屋なら、東京でただ一度、国立劇場で2週間だけ演じた
(前半休演で辰之助が代役)、逆櫓の松右衛門。
梶原屋敷の様子を語る面白さといったら....。これ見てる人は
殆どいないはず。自慢しちゃう。

15 :重要無名文化財:04/03/11 11:19
いい話が続いているところに、こんな話でスマソだが、
確か1999年11月歌舞伎座で、菊五郎、八十助、団蔵のらくだ。
初日のことだが、菊五郎の屑屋が酒乱の本性を現したあたりで、
「酒を注げ」と言われた八十助がほんのちょっぴり注いでやると、
「そんなしみったれたことだから、二人も女房に逃げられるんだ!」
場内は爆笑、二度目の離婚後間もなかった八十助はあまりの不意打ちに呆然自失。
ポカンと口を開いたまま何も言い返せない空白の時間が流れ、その阿呆面に場内また爆笑。
「感動」ではないけど、これも忘れられない場面のひとつ。

16 :重要無名文化財:04/03/11 11:32
梅幸最後の玉手、宗十郎の蘭蝶、同じ思いのお人がいて嬉しい。

梅幸丈死去の翌月の菅原「賀の祝」で、最後に白太夫がへたり込んで
忍び泣く場面、羽左さんがほんとに泣いているように思えて、
また涙・・・・でした。

17 :重要無名文化財:04/03/11 12:27
宗十郎の蘭蝶は歌舞伎を見始めた頃でした。
ですので体調が良くないとは知らなかったので亡くなった時はびっくりした。
次の月の三津五郎襲名には初日から出てなく残念と思ってたところの訃報でした。
12月は最初観る予定では無かったのだが観ておいて良かった。

18 :重要無名文化財:04/03/11 12:32
>>17
宗十郎って3256襲名とは別でマツタケ座じゃなかった?

19 :重要無名文化財:04/03/11 12:43
>15 見たかった。しかし、こればかりは....だから自慢できるんですな。
昭和50年代、夏の新橋演舞場、藤山寛美の舞台途中に突然の夕立。
場内にも大雷が鳴り響く。その度に寛美は上を見つめ、首を捻り、表情を
変え、あれは幸福な経験だったのだなあ。

20 :重要無名文化財:04/03/11 13:14
寛美のアドリブよかった。「たそがれの虹」の滝見すが子、「愛情航路」の長谷川稔
「浪花の鯉」の東光男「お祭り提灯」の花和幸助・・・千葉蝶の「愚弟愚兄」
思い出の舞台。

21 :重要無名文化財:04/03/11 13:27
>>18
いや、歌舞伎座だよ。亡くなったのは大阪だが。
幸四郎×雀右衛門の熊谷陣屋で義経の予定だった。


22 :15:04/03/11 13:29
>>19
いいだろ〜(w
やったのは初日だけだった。八十助が泣き入れた?みたい。

23 :重要無名文化財:04/03/11 14:55
誰か「中村歌右衛門の白雪姫を此の目で見ている」という人
いませんか?確か、その時の魔女は中村屋?

24 :重要無名文化財:04/03/11 16:37
>>15,19
そんなに前だったか?2000年ぐらいじゃなかったっけ
オイラが見たのは中日杉だったけど、そのアドリブやってたよ。
もっとも中身は異なって、
おめえだけ女房を2人も貰おうってのかい、みたいなニュアンスだった。
当然、場内大爆笑。

25 :重要無名文化財:04/03/11 16:41
蘭牒、宗十郎のあの挨拶、素晴らしかった。
正月を迎えての突然の訃報、しばらくあの舞台が頭の中をかけめぐった。


26 :15:04/03/11 17:02
>>24
ごめん、その通り2000年だった。襲名の前の年だったからね。
他の日にも似たのはやってたけど、「逃げられた」は初日だけのはず。

27 :重要無名文化財:04/03/11 17:59
私は、国立劇場で演された
左團次(先代)、歌右衛門、芝カンさんのお三輪の道行き。
義太夫の道行きものに初めて酔いしれました。
中でも左團次さんの芳香にノックアウト

28 :重要無名文化財:04/03/11 18:01
年がわかっちゃうけど、ずーっと昔のことね。
歌舞伎座のは見てません。

29 :重要無名文化財:04/03/11 18:10
>>3
忠臣蔵、吉、鴈、勘三人共良かった。
吉、鴈の相手だったので勘が変にでしゃばり過ぎず良かった。
役はでしゃばる役だけどね。

30 :重要無名文化財:04/03/11 18:43
>27さん 歌右衛門が初めて国立に出た時でしょ。確か漁師鱶七は
中村鴈治郎。昭和40年代の半ばですか?いいなあ。

31 :重要無名文化財:04/03/11 18:47
昭和46年歌舞伎座の国姓爺合戦。松緑の和藤内、歌右衛門の錦祥女、
仁左衛門の五常軍甘輝、三津五郎の老一官に鴈治郎の母。
こうなると「早く見た人の勝ち」になっちゃうけど、それが芝居で
もあるな。

32 :重要無名文化財:04/03/11 19:35
これはいいスレだ
Thanks 1さん

33 :重要無名文化財:04/03/11 19:44
ジジババが自慢たれるスレはここでつか?

34 :重要無名文化財:04/03/11 19:50
>>27
左團次さんのああいう役、よかったわよねー
関の戸、もう一度見てみたい

35 :重要無名文化財:04/03/11 20:02
>>33
隔離して語らせとけ。

36 :重要無名文化財:04/03/11 20:07
>>35
なるほろ

37 :重要無名文化財:04/03/11 21:08
歌舞伎座、團十朗襲名直前の4月にやった桜姫東文章。
TVで見てはまって劇場まで出かけた。
あれが初歌舞伎だった。

38 :重要無名文化財:04/03/11 22:39
海老さまの魔界の道真。
道真を貶めた人々の妄想の中に現れる魔界に堕ちた道真の激しさ、
天空に向かって叫び笑う狂気の二役の時平。
そして、本当の道真の亡霊は恨みも含まず静謐の中にいる。
すすき野に佇む亡霊は心情を吐露し、生前仕えていた
牛飼いの童子(現富十郎)の吹く笛の音が響く中に幕となる。

もう一度見たい舞台。いずれ新海老蔵で。

39 :重要無名文化財:04/03/12 00:02
>>38
孫で見れるって最高だね。裏山〜。

40 :重要無名文化財:04/03/12 00:09
天拝山自体、歌舞伎じゃ見たことないもんな〜
見たことあるってだけで裏山なのに、それが海老さまだなんて!!

41 :重要無名文化財:04/03/12 00:24
カキコ観ただけで興奮した。
ぜえったいやってくれ。新海老蔵!

42 :重要無名文化財:04/03/12 00:43
>40 天拝山は、確か国立開場の折、出たはず。山崎屋・河原崎権十郎
だったんじゃあないかなあ。間違ってたら訂正してください。
果たして「私は見た」という人が現れるか?

43 :重要無名文化財:04/03/12 00:45
11世市川團十郎の御葬式を見てる。青山葬儀場が中学への
通学ルートだった。自慢にはならないか。

44 :重要無名文化財:04/03/12 01:04
なります。

45 :重要無名文化財:04/03/12 01:06
>>42
アタシにとって、国立はとっくに開場してた劇場だもん。

46 :重要無名文化財:04/03/12 01:37
宗家藤間会での素踊り「楠公」。宗家に加え、勘三郎、雀右衛門、富十郎、
権十郎、あと誰が居たっけ。とにかく全員が素顔。これ私の自慢です。

47 :重要無名文化財:04/03/12 01:52
勘三郎を言うなら最後の法界坊。チケットを持ってる日まで
「休演するなよお、ちゃんと出てくれよお」心配でたまら
なかった。今となっては、坂東弥五郎の番頭だって自慢だ
もんね!

48 :重要無名文化財:04/03/12 02:00
>>42
いや。
市川中車(猿翁の弟)
なんか新作じみて(特に新部隊の装置を疲労しようとやたらスペクタクルで)
中車の菅丞相も悪役じみてた。

49 :重要無名文化財:04/03/12 02:05
それと>>38さんのいってるのは天拝山とは別の海老様の為に
書かれた「魔界の道真」と言う新作。
内容は>>38さんのとおり。


50 :重要無名文化財:04/03/12 03:00
>48さん
THANKS!やっぱり御幣振り回したり、火を吹いたりしたのかなあ。
文楽では天拝山やりますよね。生身の人間で見たなんて、うらやま
しいです。42拝

51 :38:04/03/12 14:10
>>49さん、フォローありがとう。
「魔界の道真」は海老さまのために数々書き下ろした
(築山殿始末や若き日の信長など)大仏次郎の作です。
上演は、1957年10月の歌舞伎座。
再演はないままです。

>>46
藤間宗家の会で上演した素踊り「佐野源左衛門常世」
私は見られなかったのですが、これも海老さまの
北条時頼が素晴らしくて、彼なくしては上演は考えられないと、
当時の宗家が言って封印されてしまいました。
写真は演劇界の追悼増刊に載っています。

52 :重要無名文化財:04/03/12 15:15
桜姫東文章、何で12代目はやらないんだろ?
ニンじゃないのか。
しかし、絶対観たいな。

53 :重要無名文化財:04/03/12 15:37
>>52
当代團十郎の清元・権助なんざ、見たくもない。

54 :重要無名文化財:04/03/12 16:12
342 :338 :04/03/03 22:48
338の公演以外をNHKが放送したかどうかは不明。
ダンダン(海老蔵時代)の清玄バージョンはたぶん放送していないと思う。

清玄・権助は仁左さんとダンダンで3通りの組合せで上演されてる。
清玄・権助の2役変わりと清玄・ダンダン、権助・仁左さんの3通り。
全部見られたのは幸せだったと思ってる。

特にダンダンの権助。
男の色気を危ないくらいにプンプンさせてた。
桜谷の草庵の濡れ場なんて劇場が静まりかえってた(トオイメ)

ダンダン権助やってるし、良かったよ。

55 :重要無名文化財:04/03/12 16:13
コピペ、うざっ。

56 :重要無名文化財:04/03/12 16:14
>>54
イラネ。
スレチガイ。

57 :重要無名文化財:04/03/12 16:54
>>56
別にスレ違いでもないと思うし、オマイの方がウザいよ。

58 :重要無名文化財:04/03/12 17:19
大根役者について語るスレはココですか?

59 :重要無名文化財:04/03/12 17:26
たとえ大根と言われる人であろうと、
一人の観客に生涯忘れ得ぬ感動を残したのであれば、
十分にこのスレで語られる資格がある。

60 :重要無名文化財:04/03/12 21:13
59がいいこと言った。

61 :重要無名文化財:04/03/12 22:27
八百蔵、源之助、弥五郎に支えられた桜姫を見てる。こんなこと書くと
「14世勘弥とのを見てるぞ」てえ人が出てきそう。居ます?

62 :重要無名文化財:04/03/12 22:28
ねらーでいたら凄いw

63 :重要無名文化財:04/03/12 22:46
猿之助の助六、雀右衛門の揚巻、鴈治郎の意休、段四郎の
くわんぺらを見てます。このスレは「貴重なものを見た」
も受け入れてくれますか?その頃の演劇界によれば、鴈治
郎が宝塚の 風と共に去りぬ にリンカーン大統領の役で
出演。「赤毛物は初めてや」そう喜んだとあります。どな
たか ごらんになってません?

64 :重要無名文化財:04/03/12 22:57
>63 猿之助の助六、雀右衛門の揚巻、鴈治郎の意休、
歌舞伎座で昔、俺は当時の扇雀が揚巻だったと思うが如何?

65 :重要無名文化財:04/03/12 23:04
>61観たいルゾ、大学生だった自分、国立劇場。それに 宇都谷峠の
通し、東宝へ移籍したG幸四郎が久しぶりに勘三郎と四つに組んだ。

66 :重要無名文化財:04/03/12 23:39
勘三郎と四代目時蔵の「め組の喧嘩」
時蔵の亡くなる1週間前に見たので
絶対忘れられない。
民放TVで中継され、追悼で再放送されたんだけど
その映像は現存しないのかなぁ。

又八は勘九郎だった。
とってもいい女房振りだったので、若い死はとてもショックだった。

役者の死でショックだったのは、時蔵、團十郎、團蔵、辰之助です。

>61
諸般の事情で勘弥・雀右衛門の清玄桜姫は見損ないました。

67 :重要無名文化財:04/03/12 23:39
>>50
なんせ遠い昔なんで(w
火も吹かなかったし(正直、無理だと思う)御幣振り回したりはしなかったと思う。
文楽の天拝山を見た事がないので比べられんが、人間が文楽どおりやっても面白くは
ないと思う。
古い演劇界引っ張り出して確認したが、劇評も不評っぽい。

68 :重要無名文化財:04/03/13 00:25
髪結新三の大家、中車丈が私の観た翌日にお亡くなり吃驚、合掌。
急な代役は先の権十郎が演じた。

69 :重要無名文化財:04/03/13 00:30
>>59
1人を感動させればココで語る資格ある。
って言いますけど、そんなの勇気入りますよ。
アンチに無意味に叩かれるの怖いから
胸の中に大事にしまっておきます。
よりによって、團十郎の東文章すか、勇気ありますね。

70 :重要無名文化財:04/03/13 00:32
玉スレで玉ヲタが語ってたのをコピペしただけじゃん。
当人がここに書き込んだわけじゃない。
よく読めや、藻前こそ勇気ありますね。

71 :重要無名文化財:04/03/13 00:41
このスレ面白い。年寄りの自慢を聞くのも口惜しいけど、まあ
芝居ばっかしは「先に見た方が勝ち」だから仕方ないか。最近
見始めた人もドンドン書き込んでください!あたしゃ、15・24
さんの書いてる「らくだ」が一番の名舞台。確か 逆櫓・将門
と続いてくたびれた後で...菊五郎も八十助も素晴らしく、團蔵
のらくだがまた結構で「歌舞伎役者の喜劇がこれほど素敵とは」
と見直しました。長く見ている母親も「最近じゃあれが一番良
かった」と言ってます。

72 :重要無名文化財:04/03/13 00:44
>63 京都 南座?

73 :重要無名文化財:04/03/13 00:58
戦後すぐに東劇で忠臣蔵の通しがあり、高砂屋の戸無瀬と判官は
気品があってよかった・・・。もっとも、先代梅玉を見たのは
これきりでしたが・・。

74 :重要無名文化財:04/03/13 02:07
>73 御冗談でしょ と言っちゃいたいけど、やっぱ羨ましい。
70越えて2ちゃんねるさまあ、もっと話を聞かせてくだされ。

75 :重要無名文化財:04/03/13 06:47
>>71
他の日は八十助も「イヤなこと言うなよ」とか言い返してたけど、
まさか初日っからやられるとは思ってもいなかったんでしょう、
あの機転者が何も言い返せなくて、見事に固まってましたよね。
あれ観て八十助がますます好きになっちゃいました。

76 :重要無名文化財:04/03/13 10:23
質問です。
昭和50年国立の「加賀鳶」を見たという方いませんか?
団十郎が海老蔵時代に子守り娘のお民をやったとありました。
私の生まれる前の話で、演劇界の別冊で写真を見ただけなので話が聞きたいです。

77 :重要無名文化財:04/03/13 11:00
75さん 加賀鳶が好きで観ています。久し振りの通しで橘屋が死神も。
多賀之丞のお兼が最高 新聞評でも<珍役=市川宗家の娘役(鳶の2役)
元気いっぱいの演技で愛嬌がある>本人いわく『暗中模索です」ーーー2ちゃんではこれぐらいが限度。




78 :76:04/03/13 11:04
>>77
早速のお話ありがとうございます!
写真の団十郎さんは素顔に近くってでもかわいいw

79 :重要無名文化財:04/03/13 11:07
>77   ↑76さんの間違い、すまそん

80 :重要無名文化財:04/03/13 16:44
鶴助さん最後の「合邦」の講中

81 :重要無名文化財:04/03/13 19:31
多賀蔵、最後の「対面」の大名。せりふ回しはまるで世話。

82 :重要無名文化財:04/03/13 20:12
歌舞伎座、勘三郎急病で俊寛は勘弥、桔梗の光秀は十三代目が代役。
   勿論、役者はそつがなく、大向こうが代役ご苦労様〜と。


83 :重要無名文化財:04/03/13 21:58
>82さん 勘弥の俊寛、羨ましい!私が見たのは権八、南郷、繁山栄之丞、
伊右衛門、細川勝元....つまり華々しい主役が1つもないんです。凄い
不入りだったと聞く国立の鬼一法眼三略巻の時も、大蔵卿の演技は素晴ら
しかった由。源平布引滝の齋藤実盛なども御覧になってますか?主役の
勘弥って如何でしたか?


84 :重要無名文化財:04/03/13 22:51
勘弥「明君行状記」に寿美蔵、舞台で倒れ、そのまま病院行きかと思いきや
なんと九州のとある温泉に行く。あれは病気だったのか、いったなんだったんだろう。
名古屋中日劇場

85 :重要無名文化財:04/03/13 22:53
三右衛門、なんと「石切り」の剣菱、黒子に身体を支えられ最後の舞台。
もうふらふら

86 :重要無名文化財:04/03/13 23:05
「廓文章」阿波の大尽が松柏、幇間が小紅屋の市十郎、もう皆んな、これが最後の舞台
というのがわかってるので、まわりの役者たちは、涙なみだ状態。松柏はもう餅つきの杵
すら持てる状態じゃないし、市十郎も立ってるのが精一杯。見てる方も辛かった。
このあとあまり日がたたないうちに、訃報を聞いた。

87 :重要無名文化財:04/03/13 23:26
勘弥=劇団には幸、勘がいて常に後塵。が、老若男女そつなく懐は深かった、11代目死後の
 数年間は本役の15代目系の役、昔から16ミリの羽左と称されたじゃないの。
 国立が出来て準専属的、御所の五郎蔵とか与三郎の通しの主役を張りましたっけ。


88 :重要無名文化財:04/03/13 23:31
晩年の寿海@歌舞伎座〜もう立てなくて座ったまま,板付き“対面の工藤


89 :重要無名文化財:04/03/13 23:33
「松浦の太鼓」でも左司馬の寿美蔵と大喧嘩。結局升田屋が折れたが・・・
勘弥のあの時の切れようはなかった。

90 :重要無名文化財:04/03/13 23:36
寿海の工藤、もう最後かと思うと、そんな思いで見てたな。

91 :重要無名文化財:04/03/13 23:39
>89 これは「勘弥が主役を演じると、揉め事が起こる」
という意味なのですか?舞台で怒ったのですか?

92 :重要無名文化財:04/03/14 00:35
>84
勘弥が「名君行状記」の相手役に孝夫ちゃんを
抜擢した時のは見ました。
演舞場で孝夫にいろいろ役を付けてくれましたね。

権十郎の「実盛」は東横ホールで見ました。
孝夫の東京初演の「義賢最期」が付いたので、
小万の件が良く理解できました。

93 :重要無名文化財:04/03/14 09:18
成太郎が「紙治」の三五郎。この頃はかなり弱っていたので、この役をやる成太郎が
かわいそうで。もう、栄御前もお庄もおえんもできなくなっていた。千秋楽のころは
花道すら使えない状態であった。数え80の三五郎を上方の味で熱演していた。
心の中でさようならを告げた。

94 :重要無名文化財:04/03/14 09:58
歌舞伎チャンネルで放送する昭和55年11月の歌舞伎座「敵討襤褸錦」は?

95 :重要無名文化財:04/03/14 11:19
>94 鴈治郎、延若、勘九郎の舞台でしょ、生で見てる。
青江下坂二つ胴 の台詞が有名だけど、名舞台というよりは
貴重な舞台。以来、出てないはずです。同じ鴈治郎なら、
「沼津」が放映されるチャンスがあれば是非御覧なさい。
空前かどうかは知らないけど、絶後の呉服屋十兵衛。

96 :重要無名文化財:04/03/14 11:59
「沼津」荷物安の三右衛門 なんともいい味
最晩年は花道がおぼつかなかった

97 :重要無名文化財:04/03/14 13:50
>96 荷持ち安兵衛って....嵐リカクの前は、三右衛門だったん
ですか?

98 :重要無名文化財:04/03/14 16:46
映画から戻ってきて、すぐ荷物。成駒屋がりかくにスカーフをプレゼントして
その代わりに「三右衛門に荷物やらせてやってな」


99 :重要無名文化財:04/03/14 16:54
>本題と違う話ばかりでスミマセン。私が見た昭和50年代の
鴈治郎の十兵衛(南座、中座、歌舞伎座)。荷物は全てリカ
ク。あの顔と花道での独り言が好きでした。ああ芝居を見て
るんだと感じました。三右衛門っていつ頃、荷物を勤めてい
たんですか?リカクより更に良かったんですか?

100 :重要無名文化財:04/03/14 20:44
そのリカク最後の京都顔見世。1日だけでも出たいということで「曽根崎」の天満屋。
とにかく舞台に上がれる状態でないところを、寝台車と酸素、点滴など持ち込み、意地の
舞台。2,3日勤めて、その暮れの27日に亡くなる。

リカクの荷物のほうがもちろんいいが、三右衛門は名古屋を勤めた。
花道の独り言は、なんともいい味でしたな。上方のこの手の役者はもういません。

101 :重要無名文化財:04/03/14 22:16
金十郎は最後までよく動いた。

102 :重要無名文化財:04/03/14 23:29
>100さん リカクのほうがもちろんいい と伺い、嬉しく
なりました。上方に限らず、日本にあの手の役者はもういな
いような気がする。最後の「尻尾のような物」をつかまえる
ことが出来たのかもしれません。
しかし、過去を懐かしんでばかりじゃ仕方ないので、現代の
名舞台も追いかけたいと思います。

ところで、名古屋を勤めた=勘三郎が平作を演じた時の御園
座ですか?その時だけ、何故かリカクは出なかったんですか?

103 :重要無名文化財:04/03/15 08:06
名古屋は「沼津」3回かかってますが、リカクではありませんでした。という記憶です。

104 :重要無名文化財:04/03/15 12:49
リカク 今まで何て読む?と思ってたので良かった。

105 :重要無名文化財:04/03/15 13:34
昭和54年だったか京都の顔見世、リカクかなり弱ったいたが「車引」の時平公。
ベルトで後ろ帯を支えて立ってる状態だ立派な顔でした。

106 :重要無名文化財:04/03/15 13:59
あの頃は面白い役者がいましたなあ。国立劇場で尾上松緑
再演の御ひいき勧進帳。確か「麿が出たぞ、怖いぞ怖いぞ」
の台詞の奇妙な公家さん。
1人が松柏(だったと思う)。今1人は誰だったか。

107 :重要無名文化財:04/03/15 21:04
>106
私も拝見しましたがもしかすると寿美蔵だったような気がしますが

108 :重要無名文化財:04/03/15 21:41
歌舞伎座で観ました。
勘三郎に<夏祭の義平次を請われた>晩年の浅尾奥山。

109 :重要無名文化財:04/03/15 23:22
浅尾奥山これはすごい。松柏も奇妙な人でした。白蔵や金十郎も奇人。弥五郎がマトモに見えました。

110 :重要無名文化財:04/03/15 23:45
助高屋小伝次、最晩年の「鏡獅子」の渋川、ふすまの扉約一畳あたりに座り、立ち上がるとき
用人に手を取ってもらい下がる。最後はもう自分で立ち上がることができなかった。
その逆で用人の新七、ほとんど立てず助高屋に介添えしてもらうこともあったが、飛鳥井の
多賀之丞がその頃はもうフラフラで吉野の菊蔵だけが元気。

111 :重要無名文化財:04/03/16 00:14
璃?、霞仙、松柏、松若、奥山、愛之助、上村吉弥と
上方には特に個性的な脇役の人がいましたね。

荒次郎、左文次、團之助、歌門、田門、金十郎
東京にもいました。

千弥ってなぜ年とらないのでしょう。
千弥の名題披露は豪華でしたよ。(1955年)
お土砂のお七で、紅長は勘三郎、吉三は歌右衛門でした。
米吉(現歌六)が丁稚で初舞台でした。

112 :111:04/03/16 00:24
2ちゃんでは、璃?のカクの漢字は「?」になっちゃうのね。
漢字登録してたから使ったんだけど。

113 :重要無名文化財:04/03/16 02:17
このスレ面白い!1番さんに感謝!

114 :重要無名文化財:04/03/16 09:32
松島屋が「楼門」の五右衛門のとき、前に中納言を今の吉五郎さんに頼んだけれど
「あの役は結構です」と断わり、鶴蔵も病気で、結局なしでやりましたね。

115 :重要無名文化財:04/03/16 09:58
私も2ちゃんでひさしぶりに笑わせてもらいました。このスレおもろい!
1番さん感謝です!

116 :重要無名文化財:04/03/16 15:39
>111 霞仙・愛之助は「この役」という記憶がないけど、後の5優は
姿形がハッキリ浮かぶ。奥山の義平次も見てる。荒次郎〜團之助は
知らないけど、鯉三郎、新七、歌門、田門、弥五郎、金十郎、小伝次、
福之助、八百蔵、子団次、源之助、多賀蔵....皆あたりまえのように
毎月出てきた。来月もあたりまえのように出てくるかと思ってたら、
何時の間にか、誰も出てこなくなっちゃった。
今は助五郎・四郎五郎に「何時までも元気でいてください」とエール
送ってます。
「年さえ重ねれば、面白い脇役になる」のだろうか?何年か後には
法界坊の舞台に「楽しく達者な番頭」が現れるのだろうか?

117 :重要無名文化財:04/03/16 16:46
愛之助、「文七」の家主、ひさしぶりの大役でそれらしく演じて巧かった。
松若、晩年は商業演劇に引っ張りだこ、久し振りに御園座の顔見世で「鳴神」
の坊主、なんとか踊って面目躍如。金十郎は十八番(紫十種)の与市べえ、花道の後姿に
大向こうが3,4人で「紫屋!!!」これには驚いた。物凄い人気。

118 :重要無名文化財:04/03/16 17:08
おまいらいくつなのれすか?(荒らしじゃなくて感嘆してる)

119 :重要無名文化財:04/03/16 19:14
>118さん ただ「子供の頃から見ている」というだけです。

120 :重要無名文化財:04/03/16 19:28
>>119
で、今は?

121 :111:04/03/16 21:04
私も小学生から見始めて、観劇暦50年です。

122 :重要無名文化財:04/03/16 22:18
私はなんとか今年89歳の誕生をむかえられそうです。贔屓は鶴助と多賀蔵、上方はやはり
霞仙さん、最近では、この間亡くなった我童丈は大好きでした。勘三郎は大嫌いでした。
あんなセコはいません!

123 :50:04/03/16 22:29

東劇のlast,歌舞伎座の開場。昭和25〜26年頃を記憶しておりまつ。


124 :50代です:04/03/16 22:32
↑  手が滑ってもうた。<上記色々書き込んだ者です>すんません。

125 :重要無名文化財:04/03/16 23:57
>122
我童さんいいですねー。最晩年の姿を2、3度みただけでしたが、
ああいうのを「はんなり」と言うんでしょうかね?と思いました。

若かりし頃はさぞキレイだったのでしょうね。

126 :重要無名文化財:04/03/17 00:15
>片岡我童 野崎村の御家さんが良かったですね。他に....何を
見ているだろう。そうだ、妹背山御殿の橘姫(お三輪は歌右衛門)。
珍しいでしょ。

127 :重要無名文化財:04/03/17 00:44
我童さんの舞台、夕霧、豚姫の岸野、おえん、お庄、
満江、上田村のおかる、新薄雪の籬、六段目のお才
など次々浮かびます。
松竹座の故人の写真に「十四世 仁左衛門」と
なっているのが悲しい。
私の中では我童さんしかいない。
紅で書いたサインも持ってます。

128 :重要無名文化財:04/03/17 01:36
>127さん 私も十四世 仁左衛門より、片岡我童のままの方が
良かったと思います。なにより、人間国宝になっても全くおか
しくない人だった。欲がなかったのかなあ。最初は「この人
真面目に芝居してるのか」と感じた。好きになるまでに、結構
時間が掛かりました。今になって、其の存在が如何に大きかった
か分かります。沢山見たけど、もっと見ておきたかった。

129 :重要無名文化財:04/03/17 09:32
芝鶴さんの立花屋の女房と我童さんのお庄は双璧ですな。これはこのおふたりの
独壇場。

130 :重要無名文化財:04/03/17 09:58
2ch全体の中でも平均年齢高そうなスレだなー。

ぢぐぞー、うらやましいなー・・・。本や映像でしか知らん世界だ・・・。

131 :重要無名文化財:04/03/17 10:23
50代スレより平均年齢高そう・・畏るべし、高齢ちゃねらー

132 :重要無名文化財:04/03/17 10:38
平均年齢高いとは思ってたけど、親世代を越えてるのか。
伝芸板ってすごいんだな。

浅尾奥山って「奥山をきる」の人?

133 :重要無名文化財:04/03/17 10:59
>私は40代。サザンやユーミンも....同時代の人間として見てます。
ユーミンは松任屋を名乗る前から贔屓でした。

134 :重要無名文化財:04/03/17 11:07
>132 浅尾奥山=中村屋が上方から特に招いた由。シーラカンスみたいな
俳優が生きていたのかなあ。見た時は小柄はお爺さんで「そんな偉い珍し
い人」とは思わなかった。
その時の一寸徳兵衛は誰だっけえ。守田勘弥だったか片岡仁左衛門だった
か、これが覚えていません。演劇界の増刊「三代の名優」に義平次の写真
が載ってます。この「三代の名優」は面白いですよ。お持ちでなければ、
古書店で探してみることを、おすすめします。

135 :重要無名文化財:04/03/17 11:10
>>132
ぐぐったら「奥山をくわす」の人でした、スマソ。

136 :重要無名文化財:04/03/17 12:56
芝鶴・我童になんとか「封印切」のおえんの成太郎を入れていただけませんか?
もう年は隠しません、恥ずかしながら87歳です。残り少ない日にこんなすばらしい
語らいの場が在るとは思いませんでした。

137 :重要無名文化財:04/03/17 13:31
>>136
てことは、もしかして又五郎と同じくらい!?
素晴らしいです。もっといろいろ聞かせてください。

封印切のおえんの成太郎、そんなによかったんですね。
上方も江戸も、そういう役のできる人がどんどんいなくなって口惜しいことです。

138 :重要無名文化財:04/03/17 13:55
>136 「封印切」のおえん、いい役ですね。歌右衛門が勤めたのを
見たことがあります。さらりとして情味があり、それはそれは結構
なものでした。なにしろ、前幕ではヤマタノオロチだったんですよ。
昭和46年12月の国立劇場です。


139 :重要無名文化財:04/03/17 14:33
>130さん 羨ましがってたら、キリありません。例えば...法界坊。
私にとっては勘三郎に弥五郎の番頭だけど「え!吉右衛門と吉之丞
を見てないの?」と言われちゃう。その前だと「大橋屋の番頭は良
かったねえ」になるらしい。遠慮しないで、現代の名舞台もドンド
ン書き込みましょ。

140 :重要無名文化財:04/03/17 15:38
古けりゃいいと言うものではないですな。吉之丞はそれほどでもありません。弥五郎
のほうが数段上ですよ。あの方、結構芝居がさっぱりしていてうまいです。若いところでは
我童さんよかったですね。まあ成駒屋の嫉妬はすごかったですね。それくらい巧くて美しかった。
ちなみに私は83の老婆です。よろしくおねがいします。

141 :重要無名文化財:04/03/17 16:18
>140さん 弥五郎さん、好きでした。「吉之丞より上」と伺い、
とても嬉しい。桜姫の口上も良かったですよねえ。
もしや、大橋屋・尾上幸蔵も間に合ってますか?もし御覧になっ
ていたら、どんな舞台だったか お教えください。

142 :重要無名文化財:04/03/17 17:22
皆様、野暮を承知で思わずつぶやいちゃいますが、年齢マジですか〜。
観初めてまだ八年の小僧ッ子としちゃあこのスレ面白すぎです。
がんばって書き込んでください。

143 :重要無名文化財:04/03/17 18:02
古き良き上方芝居に興味津々。
もっといろいろ教えてください。

144 :重要無名文化財:04/03/17 18:14
>>133
「松任屋」最高!激笑った

145 :1:04/03/17 18:25
皆さん、とても読み応えあり想像以上の良スレとなりとても嬉しいです。ありがとうございます。

>>142
スレ立てた自分なんて、まだ三年半の初心者です。
評論家の方がよく言う昭和の六人、勘三郎、歌右衛門、團十郎、幸四郎、松緑、梅幸の
一人も観れず残念です。宗十郎、羽左衛門に何とか間に合ったくらいです。

歌右衛門の追悼番組で放送された、松緑との茨木を生で観た方いますか?
太刀持ちが今の延寿太夫、右源太が福助時代の梅玉でした。
映像で観た舞台であんなに迫力あり素晴らしいのは初めてでした。
生で観た感想をお聞きしたいのですが、お願いします。

146 :重要無名文化財:04/03/17 19:23
>145さん こちらこそありがと。茨木もちろん見てます。ただね、
記憶に残ってません。映像と生とでは、受ける印象が違うのかも
しれない。世評と自分の感性は必ずしも一致しない。だから面白い
のよ。

147 :111:04/03/17 20:39
愛之助は堀川で鳥辺山の稽古をつけるおっかさんの役、
若松会の油地獄のおっかさんは印象に残ってます。
孝夫の与兵衛が捕まるところまであって、手ぬぐいで
頬かむりをしてやる場面などいいものでした。

成太郎は孝夫初役の番町皿屋敷で叔母真弓をやっていて、
さすがにこの世代の中に入ると「叔母さまは苦手じゃ」
といわれるだけの威厳はありました。この時の(孝玉コンビ)
レコード持ってますよ。

團之助は合邦の女房や三婦の女房などを見ています。
なんだか手をひらひらさせる癖があったように思います。

148 :重要無名文化財:04/03/17 21:34
成太郎の真弓に「叔母様は苦手じゃ」・・・もう読んでいて
涙がこぼれてきました。111さん、ありがとうございます。
晩年は、もう身体を悪くして数々のお役は無理でした。

149 :111:04/03/17 22:26
>>148さん
私は東京在住で、まだ休暇をとるのが当然の権利ではなかった
昭和40年代から時々南座などへ遠征していたので、上方の役者も
見ることができました。
周りにはそんな話の通じる人が少なく、成太郎で涙してくださる
なんて嬉しいです。
顔見世でさえ当日売りで楽に買えました。

太郎も吉三郎も逝くのが早すぎましたね。近年では徳三郎も。(涙)

150 :三世河内屋ふぁん@5枚 ◆F3dsoI/kaU :04/03/17 22:57
古き良き上方歌舞伎には間に合いませんでしたが、
三世實川延若丈の舞台を生で観ることが出来た自分は、
本当に本当に幸せ者です。



151 :重要無名文化財:04/03/17 23:11
延若・我童の雁のたよりも見たなぁ。
「重ね井筒はえー あれは延若さんの紋所」
の下座唄と下駄の音を響かせながら、
「もう一遍回ってこ」「お玉は〜ん」
あの声が聞きたいです。

152 :重要無名文化財:04/03/17 23:19
上方でいけば、
二世延若/初世ガンジロ/三世梅玉とかを見た方、いらっしゃる?

153 :重要無名文化財:04/03/18 00:21
昭和50年頃、延若・歌右衛門を南座まで見物に出掛けたら、恐ろ
しい程の不入り。素晴らしい「吉野山道行」を前に、申し訳ない
という気持で一杯になりました。同じ頃、朝日座では芝カンと
義経千本桜の通し。3階から「おまちかね、さんだいめ、おお
かわちや〜」という声が掛かり...これには驚いた。入りはどう
あれ、何時も決して投げず、一所懸命演じてくれる優でした。
珍しい演目も多かったですね。確か「弥作の鎌腹」を見た覚え
があります。

154 :重要無名文化財:04/03/18 01:33
延若も我童も、何時も居るのが当たり前でした。居なくなって凄く
寂しい。今の基準で行けば、両優とも当然「人間国宝」として称え
られる人ではなかったか。両優に限らず、もっともっと評価されて
しかるべき人が大勢いたのではなかったか。不満を表面に出さず、
楽しい舞台を見せてくれた人が大勢いました。私も「済まない」と
いう気持で一杯です。観客が「済まない」と言ってもしゃあないけ
ど、そうとしか言いようがない。
ところで、珍しいと言えば、写真でしか知らないのが田沼意次暗殺
を題材にした「有職鎌倉山」。どなたか御覧になってませんか?



155 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/18 08:51
「柳影沢蛍火」、三役早替わりに本水の「怪談乳房榎」を
ご覧になった皆さまのご意見ご感想もぜひお聞かせ下さい。

あと、題名が思い出せないのですが、
乱戦にまぎれて恋敵の侍を暗殺したものの、
自分も盲目になって放浪し、姫にも見捨てられて
最後は自殺する役・・・確かありましたよね?

156 :重要無名文化財:04/03/18 10:29
恥ずかしながら、もう黙って見てられなくなりました。数えで九十になるものです。
皆様のお話、うれしゆうございます。見てるだけでたのしくなってきます。
私はもう冥土の飛脚ですが、これからもよい芝居を見て感想を寄せてください。
私は大成駒ひとすじでファンとしてはずっーと優越感にひたっておりましたが、
正直、我童丈を拝見したときは「この人はすごい」とあまりの綺麗さにほれぼれしました。

157 :西銀座:04/03/18 10:33
155さん、お久。 綺堂の室町御所です。
歌舞伎座で猿翁と 国立で河内屋2度観ています

158 :紫屋:04/03/18 12:14
はじめまして 
利根川金十郎さんの「紫十種」をお教えくださいませ
与市兵衛、番頭与九郎、花形屋、茶亭・・・・年のせいで物忘れがひどく
申し訳ありません。

159 :重要無名文化財:04/03/18 12:43
>154さん
1963年4月、歌舞伎座で有職鎌倉山は
見ているんですが殆ど記憶に…
今筋書を引っ張り出して、そういえばそんな場面も
という状態です。

11代目贔屓だったので、同時上演のお祭佐七や
夜の修学院物語、春雨傘などの印象に消されてしまった
ようです。

160 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/18 23:25
>>157
こちらこそご無沙汰しております。
なるほど、室町御所という題でしたか。
「演劇界」の劇評を読んで、あぁ観たかったなあと。
河内屋で2度ご覧になったということは、
やはりニンに合っていたからでしょうか。



161 :ハットリ君:04/03/18 23:35
ニンニン

162 :重要無名文化財:04/03/21 19:28
今月の新口村もいいけど、平成元年歌舞伎座、
孝夫、雀右衛門、大松島での舞台も忘れられない。
筋書によると、大松島が休んで我當に代わったみたいだけど、
漏れが行った時はまだ大松島がやっていた。
大きくて暖かい、そして悲しい孫右衛門だった。
あれを観ていなかったら、ここまで歌舞伎にのめり込んでいたかどうか。
やはり、忠兵衛と孫右衛門は別々の方が好きだ。

163 :重要無名文化財:04/03/21 23:22
>162
平成元年10月興行
6日に花道から転落、この日は勤めきり翌日から休演。
この年旧南座おしまいの顔見世には菊畑の鬼一で復帰。
羽田監督の映画に詳しく残っているのが幸いです。

164 :162:04/03/22 01:17
大松島の出演、6日までだったんですか!? 観られたのは運がよかったなあ。
花道から転落とは、やはり相当視力が衰えていたんですね。

165 :重要無名文化財:04/03/22 20:37
年配の皆さん、このスレ見つけられた?

166 :重要無名文化財:04/03/22 22:18
この間亡くなった吉三郎、新口村のおかくの出に大向こうが「弥太さん!」だって。

167 :重要無名文化財:04/03/22 22:20
私、たかが半世紀しか生きておりませんハナたれ小僧です。

覚えておりますのは、幸四郎(えーと白鴎?、今の幸四郎の
お父様です)の「熊谷陣屋」です。テレビの録画がはいっていた
せいか大熱演でした。芝居で泣いたのは後にも先にもこれだけ。

ほとんどの方がすすり泣いていたような気がします。

168 :重要無名文化財:04/03/22 22:53
>>167
先代の幸四郎は時代物は良かった。
熊谷だけでなく、勧進帳の冨樫も印象深いですね。
それが、今はコーラ嫌!とか叩かれて・・。
黄金の日々でまだ小さかった染五郎(当時は錦之助だっけ?)を
抱っこして最終回に登場したのも覚えています。いいおじいちゃん
ぶりで、ほほえましかった。

169 :重要無名文化財:04/03/22 22:59
そんな幸四郎(先代)も白鸚を襲名したときは
もう体が持たなかったんでしょう、昔の大きな役者ぶりが
すっかり抜けてしまい、素の順次郎さんという感じでした。
そのときの「井伊大老」で、歌右衛門と膳を前に回顧する
場面がありましたが、本当の夫婦のようで味わい深かった
です。何十年も寝かせたスコッチのようでした。
十数年後、息子の吉右衛門が井伊大老を演じましたが、歌右衛門
が付き合い、あ、成駒屋、これがもしかして最後の舞台じゃ・・。
などと妙な胸騒ぎが起こりました。奇妙なもので、本当にそれが
歌右衛門の最後の本公演になってしまいました。

170 :重要無名文化財:04/03/22 23:01
白鸚さんがなくなったときの幸四郎の六法見たかった。

171 :重要無名文化財:04/03/22 23:43
白鸚さんが亡くなったとき、幸四郎さんは大阪の襲名興行にでていました。
毎日、終演後に東京に帰り、毎朝東京から大阪に行ったと思います。その
芝居では、勧進帳よりも、吹雪峠のほうが面白かったと思います.

172 :重要無名文化財:04/03/22 23:52
白鸚襲名と銘打ったのは歌舞伎座の興行だけだったの?

173 :重要無名文化財:04/03/22 23:53
>>168
金太郎ちゃんでつ。
染五郎は比較的初舞台が遅かったですよね。
春雨傘でお祖父ちゃんの先代に付いて出た初舞台。
しっかりしてましたよ。

先代の幸四郎
私が見始めた時も、もう、晩年(なんて言ったら怒られますかね)近くでしたが、
なんとか由良之助、元禄忠臣蔵の大石内蔵助、関兵衛、新薄雪の伊賀守、
なんてのを見られて幸せでしたね。
そうそう、籠釣瓶の治郎左右衛門
良かったですよ。

174 :重要無名文化財:04/03/22 23:56
>>172
最後の舞台になってしまいましたね。
と言うより覚悟しての名跡譲りでしょうね。

175 :重要無名文化財:04/03/23 00:07
>>173
遅かったぞ由良之助にはならなかったんですね。
うらやましい。

176 :173:04/03/23 00:47
由良之助も悪くなかったですけれど、なんと言っても内蔵助ですねぇ。
今月当代がやってますけれど、とてもとても足下にもね。
特に国立劇場で半通しで『元禄忠臣蔵』をやって、
『江戸城の刃傷』『第二の使者』『最後の大評定』の場割りでしたか、
最後の幕切れ、赤穂城を後にして静かに花道に掛かり、
言葉も無く崩れ落ち、花道付け際に伏して声を殺して号泣する。
一瞬劇場が静まりかえって、アチコチで啜り泣きが聞こえました。
ああ、この人なら主君の仇を討つつて思いました。

177 :重要無名文化財:04/03/23 11:51
>173さん 良かったですね。関兵衛も伊賀守も、ず〜っと自慢できます。
新薄雪は歌右衛門・勘三郎と一緒の舞台を御覧になったのですか?
私は時代物が好きでした。寺子屋、熊谷陣屋、妹背山の大判事そして漁師
鱶七、かどかどの見得が立派で声が良く、真面目な愛嬌があり、夢中で見
ていました。見逃したのが、逆櫓の松右衛門。どんなだったんでしょうね
え。早く亡くなったのは残念ですが、おかげで古色が滲むような、勘三郎
の時代物の様々を楽しむことが出来たとも言えます。


178 :173:04/03/23 23:17
はい。昭和54年四月の舞台です。
主な配役は 幸四郎 幸崎伊賀守 勘三郎 園部兵衛 歌右衛門 梅の方
雀右衛門 薄雪姫 扇雀(当時)左衛門 芝翫 腰元籬&松ヶ枝 延若 妻平
仁左衛門 秋月大膳&葛城民部 
当時の大顔合わせでした。
ところがジンクス通り(新薄雪は薄の文字通り客の入りが薄い)
客の入りは悪かったです。
一等はまだしも、三階なんか平日のせいか2、3列しか埋まって
ませんでした。
今、よそのスレで入りが悪いとか書かれていますが、当時(52〜56年頃)
を思えばよく入っているなってのが感想ですね。
当時全盛の玉三郎が染五郎(当時)と大河ドラマの芝居(黄金の日々)を
やっても7分の入りだったそうで、歌舞伎座受難の頃でしたね。

芝居の感想ですが、やっぱりなんと言っても幸四郎の伊賀守ですね。
勘三郎との芸風の違いが如実で面白かったです。
一口に言えば、勘三郎は事態打開の為に色々工作しようとする
人物に見えるのに対して、伊賀守はこの場のうちから、何か有ったら
自分が腹を切って事を納めようと決心しているように見えました。
ふたりの仁の違いがはっきり見えて感心したものです。

179 :重要無名文化財:04/03/24 03:42
>178さん そうですか。あの新薄雪を御覧になってますか。昭和歌舞伎の
頂点と言われた舞台ですね。しかし、入りは酷かった。2階もガラガラで
した。今思えばナント勿体ないだけど.... 本当です。
昭和53年の正月興行だったかな、正月の3日に思い立って九段目を見物に
出掛けました。3階の一番前が買えた。
戸無瀬 歌右衛門、加古川本蔵 幸四郎、由良之助 勘三郎、お石 芝翫、
力弥 延若、小浪 雀右衛門。この座組だったと記憶してます。夜の部は
一条大蔵、勘三郎が熱演してるのに空いてた。
なんであんなに、お客が来なかったのか。今考えても、不思議でなりませ
ん。ともあれ、あの最高の時代を御覧になっているとは.... おめでとう
ざいます。


180 :重要無名文化財:04/03/24 04:05
笑也タンの弁天小僧でつ(*^_^*)

181 :重要無名文化財:04/03/24 15:26
四世井上八千代の長刀八島「西行法師の嘆けとて 月やはものを思はする」。


182 :重要無名文化財:04/03/24 16:07
「たそがれの虹」の滝見すが子、いい味だった。新喜劇は酒井光子と鶴蝶と
やはり滝見すが子。もっと認められても良かった人だった。合掌

183 :重要無名文化財:04/03/24 18:04
こんなところで新喜劇の女優陣を語られているとは・・・これは益々名スレです。

184 :重要無名文化財:04/03/24 19:52
>>165
サーバ移転してからまだ来てないね。

185 :重要無名文化財:04/03/24 20:55
>182&183さん 私は酒井光子の花魁道中(確か紺屋高尾)を見てます。
石河薫も見てます。新国劇の久松喜世子まで見てます。それでいて、
未だ40代。全ては親のおかげですね。新国劇では千葉蝶三朗が好きで
した。  179拝

186 :重要無名文化財:04/03/24 20:56
185訂正 新国劇では→新喜劇では

179拝

187 :173:04/03/25 12:40
>>179さん。ありがとうございます。
本当に素晴らしい時代だったと思います。
まだあの頃は若くて(w歌舞伎好きなんて言うと周りに、変わったものが好きなんて
目で見られていましたが、構わず夢中で歌舞伎座に通いました。
評判の高いものは一等を奢り、気に入ったものは3階にで見直しました。
休みが平日の為、結構良い席が取れたのも幸運でした。
見ておいて本当に良かったと思います。
幸四郎だけでなく 歌右衛門 梅幸 松緑 勘三郎 鴈治郎 仁左衛門 etc.
昭和の名優の尻尾をやっと捕まえたって気持ちです。

幸四郎の関兵衛
「ときに太夫さん。こなさんのお名はえ?」
「墨染といいやんす」これが、又、歌右衛門独特でした。
「なに、墨染 ふぅ〜む、この桜も元は墨染」
キッ!と舞台中央の桜の立木に思い入れ。パッと気を変えて
「ええお名でごんす」
こう書くと長いようですけれど、実に良い間でパッパッと変わるんです。
今でも舞台が目に浮かび、声音が甦ります。

なにか色々と当時の舞台の思い出を語りたくなって来ましたが、一人が長々と
語るのもご迷惑でしょうか?
皆さんのお許しが有れば語りたいのですが。

188 :重要無名文化財:04/03/25 14:01
>173さん
ぜひぜひお願いします。
ひよっこなので、みなさんのお話きいてるだけで楽しいです。
いろいろ教えてください。

189 :重要無名文化財:04/03/25 14:51
173さん
いいなあ、目に浮かぶよう

190 :重要無名文化財:04/03/25 18:38
173さん、うらやましいですぅ!私は、亡くなった吉十郎さんと染升さんの大ファンでした。

191 :50代:04/03/25 20:17
私も、高麗屋の各役観ていまして↑お墓参りも〜略、懐かしく読ませて頂きました。
ところで、踊りの神様7大和屋 晩年の 歯抜けの科白回し、覚えておられる方?


192 :重要無名文化財:04/03/25 20:24
>173賛江 伺えるのを楽しみにしてます。あの頃の方が、演目も
豊富だったよね。幸四郎・歌右衛門・勘三郎による「箱根霊験○
仇討」、勘三郎の清正誠忠録、鴈治郎の大安寺堤、仁左衛門による
ちょいのせの善六。勘三郎なんて、剣菱呑助から八剣勘解由から
(記憶が間違ってなければ)伊吹藤太まで見たような覚えがある。
皆様「生きてる内に沢山残しておこう」と思ってくださったんです
かねえ。なのに入りは酷かった。今思っても、不思議で残念でなり
ません。179与利


193 :重要無名文化財:04/03/25 21:02
>>192
までいくと嘘臭い年寄りだな

194 :173:04/03/25 21:46
嘘なんかじゃ有りませんよ。
勘三郎の役々は私も見ています。
確か剣菱呑助は幸四郎の石切梶原に付き合ったものだし、八剣勘解由は
歌六襲名の大蔵卿に付き合って、伊吹藤太は団十郎(仁左衛門だったか?)
の盛綱に付き合ったんです。
勘三郎は若手を可愛がって良く端役も厭わず出演していました。
役者の鏡ですよ。

195 :重要無名文化財:04/03/25 21:48
>192
嘘じゃないと思う。高校生から見てれば十分射程距離。たぶん
40代じゃないかな。わたしは50代だけど「小学校から歌舞伎座
行ってる」友人がいて...この人には適いません。何の話になっ
ても「え?見てないの」。口惜しいけど仕方ありません。落語の
地獄八景じゃないけど、あの世の芝居小屋を楽しみにしてる。
昭和歌舞伎の思い出に加え、20代・30代の皆様が「近年の名
舞台について、もっと書き込まれん」ことを!


196 :191:04/03/25 21:51
そりゃあ真実、わっしも観ているよ

197 :173:04/03/25 21:53
>>195さん。ありがとうございます。
ドンピシャと言いたいところですけれど、>>192さんのあげたのは
そんな昔の話では有りませんよ。
みんな昭五十年代の公演です。
夢中で通っていた頃の夢の舞台です(トオイメ)


198 :重要無名文化財:04/03/25 22:34
>>193
が嘘臭いと書いたのは
○○賛江
××与利
ってところじゃないの?
漏れもわざとらしいと思ったが

199 :重要無名文化財:04/03/25 22:39
私が見始めた頃は貧乏で、3階席と筋書買うのがせいぜいで、
とてもブロマイドは買えませんでした。
その後古書店などで集めるようになり、昨日も10枚ほど購入
したのですが、1枚役名の判らないものがあります。
次のヒントで、どなたか判ったら教えてください。

海老さま、黒襟の掛かった権太よりは細かい格子の衣装、
博多帯、与三郎風の頬かむり、二本差し。
右からの横顔があんまり良くて買ってしまいました。

昨日の収穫は、海老蔵の大森彦七、海老蔵・芝翫の桜丸夫婦、
芝翫の三代吉、幸四郎の源蔵等々。
セピア色だからというだけでなく、今の役者とは全然雰囲気が
違いますよね。
今劇場で売られている舞台写真のなんと味気ないことか。

200 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/25 23:19
>>192さん、ご安心を。自分も同期です。
昭和55年の歌舞伎座、雁治郎丈の「大安寺堤」よく覚えてます。
勘九郎丈が弟の役、河内屋が宇田右衛門でした。
古風な味わいの芝居で、不思議な面白さがありました。
ちなみに観劇歴は高校生の頃からです。



201 :重要無名文化財:04/03/25 23:53
>>195
この雰囲気で20・30代は書き込まないよ。

202 :重要無名文化財:04/03/26 00:13
>>200さん、私も見てますよ。
延若さんは私に初めて上方の芸風を意識させてくれた役者です。
それが歌舞伎座での襲名の忠兵衛でした。
花道の出なども独特な味がありました。
舞踊では扇の扱いが鮮やかで、とても美しかったです。
晩年南座で見た保名も心に残っています。

203 :173:04/03/26 01:10
>>198さん。
ああ、そうなんですか。
過剰反応したみたいで申し訳ないです。
ただ、そんな勘ぐらずに、ついはしゃぎたくなったと理解して下さい。
私だって、今まで誰に話せなかった事がこうやって思い切り話せて、
しかも理解してくれる人がいるっていうので、少々舞い上がっています(w

舞台の想い出ですが、名前が出たので勘三郎にでもしますか。
私は勘三郎は時代物より、世話物・舞踊のほうがイメージが強いです。
歌右衛門との一本刀土俵入 文七元結 夏祭浪花鑑 髪結新三 枚挙に暇がないです。
特に強く印象に残っているのが、玉三郎をお仲に抜擢しての刺青奇偶の半太郎です。

序幕 橋食いに頬杖を付いて対岸の江戸の灯を見ている姿。
何とも言えず良かったです。
決して凶悪犯罪をやった訳では無く、ほんのちょっとの手慰みが祟って
生まれた江戸を追われた男の哀しみが、大げさでなく、
軽い後悔の気持ちを持って表現されていました。

玉三郎も良かったです。
序幕の捨て鉢な女から、後半、半太郎一途の女。
何の矛盾もなく一貫した女でした。
勘三郎とのやり取りも息があってとても良かったです。
勘三郎がこの才能有る若手女形を評価して、慈しんでいる事のよく解る
舞台でした。

この半太郎が勘九郎に受け継がれているのは嬉しい事です。


204 :重要無名文化財:04/03/26 02:48
>194
勘三郎が八剣勘解由を勤めた月は、同時に梅枝→時蔵の襲名もあったんじゃ
なかったっけ。記憶が間違ってなければ、時蔵のお三輪に勘三郎が「豆腐買
おむら」。ところが私が見た日は休演で延若が代わった。「中村屋が勤めま
すべきところ、私が代役で云々」と挨拶の後、花道から「萬屋さん、しっか
りおやり」。これは此で良いものを見ました。歌右衛門のお三輪の時、勘三
郎は「もうし、な〜りこまや」でしたね。時蔵相手にドンナ風に語りかけた
んだろ。覚えてる方いますかあ?ほんと、勘三郎はエッと驚くような役に出
て観客を喜ばせてくれました。「つきあう」現在の歌舞伎に最も欠けている
ことです。
欠けているといえば、浮かれ坊主の最後...昨秋の菊五郎は2本足で蛙が乗り
出すみたいな形で幕になったでしょ。けど、勘三郎は1本足できっちり立って
いた。あれ、凄いことしてたんですよ。

179


205 :重要無名文化財:04/03/26 08:51
ものすごく場違いだったらごめんなさい。
ここでは青二才と呼ばれるそうな年のものです。歌舞伎歴もまだ3年くらい
でお恥ずかしい限りですが。
実は若手の中で勘太郎さんが好きなのですが、勘太郎さんが子供(10歳くらい?)の
時に歌舞伎座で供奴を踊ったのがすごかったという話を聞いたのです。
こちらでしたらきっとご覧になったかたが居られるのではないかと思いまして。
たかだか10年ちょっと前のことで恐縮ですが私にとっては「伝説の舞台」
なのです。
勝手にいまのケンスケみたいな感じかなぁと(小太りだったらしいし)想像しているのですが・・。

206 :重要無名文化財:04/03/26 09:21
>205
衣装が脱げちゃったけど動じないで踊ったってやつだっけ? あれそれは弟だっけ?
私も青二才。このスレは面白いけどなかなか敷居が高い。

207 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/26 09:28
>>202さん、うらやましい限りです。
延若丈の襲名の「封印切」、観たかったー!
南座の「保名」、流れるような動きの美しさに感動。
舞踊では「操三番」なども絶品でしたね。

>>204さん、萬屋襲名興行の豆腐買いおむら、
自分も河内屋の代演の日でした。勘三郎丈には申し訳ないと思いつつ、
ちょっと得した気分になりました。


208 :重要無名文化財:04/03/26 09:51
>>206
青二才同士よろしく(w
なんか「後世畏るべし」といわれたという批評を目にしたことがあって。
これってもちろん誉めコトバですよね。服が脱げたかどうかは知りません。
そいつぁ見たかった(w
ベテランのみなさまよろしくご教示くださいませ。

209 :重要無名文化財:04/03/26 16:34
>203 
勘三郎の世話物、良かったですねえ。中でも、歌右衛門との
一本刀土俵入が目に残ります。ただ2人の男女が会話するだけで
「此れ程の感動を人に与えられるものか」私は驚嘆しました。
時代物ももちろん素晴らしかった。逆櫓の松右衛門の台詞回し、
佐々木盛綱の腹芸、一条大蔵の多彩な見得。
そうそう佐倉宗五郎も忘れちゃいけません。地蔵に祈る箇所で
は冬の寒さが伝わってくる。舟に乗る時「この人、水の上に居る
んだ」と分かる。妻子と一緒の大芝居など、中村屋でなきゃ絵に
なりません。そうだ、筆幸も法界坊も.....キリがないよねえ。
女暫の舞台番なんて、不思議な役も結構でした。松緑につきあった
真柴久吉も「時代をワープして現れた」ような気がした。ただただ、
感謝であります。
ところが、この勘三郎という人。私達が夢中で見ていた頃に
「素晴らしくなった」「人格者になっちゃった」らしい。
その前は手を抜いたり、いい加減な演技で、嫌う人も沢山いたら
しい。「勘三郎はセコで」と書き込まれた方がおられるでしょ。
たぶん本当だと思います。前時代の香を伝える演技を披露し、若手
にも気軽につきあった、晩年の立派な中村勘三郎。
その前の、セコと言われた時代の勘三郎を御覧になってる方のお話
も伺いたいと思います。宜しくお願い申し上げます。


210 :重要無名文化財:04/03/26 16:35
河内屋の楼門に、最晩年の鴈治郎が久吉で付き合う。夜は万野だったが、とても勤めることが
できなく5日目から休演。なんとか久吉は勤める。
歌舞伎一筋できましたが、新喜劇なら「どんぐりころころ」の千葉蝶、新派は「京舞」の
成田菊雄、東宝は「三婆」の一の宮あつこ、新国劇「一本刀」の岡泰正の老船頭、「国定」の
「瞼の母」の初瀬乙羽のおとら・・・一期一会の名舞台でした。

211 :重要無名文化財:04/03/26 16:51
89歳の老婆でございます。内の孫が勘三郎は名人だの、芝居の神様だのよく私に
言ってますが、わたしにいわせれば、あんなセコはみたことがないとおもってしまいます。
209様のおっしゃることがすこしばかり当たってる気がします。寺子屋の松王をみても大蔵を
みても、あの程度の理解力と芸なら、わたしでも1週間あればやってみせてあげるよ!
といってやりました。孫は、馬鹿にしたような顔で私を見ていました。
まああくまでも主観で、私の見方がヘンといえば、そういうことだと思います。失礼しました

212 :重要無名文化財:04/03/26 17:01
うちの祖母は、今の吉右衛門やカンクが好きで「吉右衛門は、うまいわねぇ」なんて
よくいいますが、中村屋の話になるとカンクはべた褒めするくせに勘三郎のことは
「あんなもの・・・」あんなもの扱いです。そんなに大根だったのか信じられません。

213 :重要無名文化財:04/03/26 18:13
>210
真柴久吉って、良い役ですねえ。「何が歌舞伎か」と聞かれれば、
あの山門ですよねえ。中村勘三郎、中村歌右衛門(役名は久吉女房
長浜御前)、片岡仁左衛門、中村芝翫と見てるのに、中村鴈治郎
だけ見逃しちゃってるんです。これが残念で残念で.....。

初瀬乙羽って、清水彰でしたっけの山形屋藤造が国定忠治に翻弄さ
れた後「おまえさん、男を下げなすったねえ」と言う人ですか?
見てます。中学生でした。
千葉蝶三朗も好きだった。こんな上手な人が居るのか と驚いた。
浪花の助六という芝居に床屋の亭主を勤めたのが印象に残ってます。
名演と言われる愚兄愚弟の金魚屋の高橋(でしたっけ)、これも見て
ないのが残念で残念で....。

ほんと、映画は何時でも見られるけど、芝居はそうはいかない。
観客たるもの、大変であります。


214 :重要無名文化財:04/03/26 19:05
>>212 勘三郎、 前名もしほ時代から〜東宝移籍失敗し大阪へ
この頃は確かに兄の播磨屋も サジを投げるほど大根だったらしいです、
昭25?襲名後から(昭29には兄も死に頭の上がすっきり)それこそ一歩ずつ頭角を。
時々舞台を投げていたと聴くが(私の観た限りでは幸いなことに皆無)、岳父譲りでしょうか。
市井の小悪党などは見ものでした。
あまり演じていなかったはずの 道玄を昭40頃 観たが巧かった、お兼は多賀さん,松蔵は勘弥。
六代目譲りの世話ものは松緑と2分していたのだが、音羽屋のは洗い上げが奇麗すぎた。新三も同様。



215 :重要無名文化財:04/03/26 19:10
勘三郎ですか?前に初代の幸四郎のことを書きこんだ者ですが
私も母に「うまいね」っていったら「あの人はうまいのを
鼻にかけているから」といわれました。確かにそういうとこ
がありましたね、「どうだうまいだろう!へん!」って
ただ出し物はわすれちゃったんですよ。

今の勘九郎にも多少そういう親の血が ry



216 :銀座の214:04/03/26 19:17
>>213 あの山門ですよねえ。中村勘三郎、中村歌右衛門(役名は久吉女房〜〜
もう立てない病後の松緑 最後の五右衛門に大幹部が付き合ったのでしたっけか?

217 :191:04/03/26 19:42
>>191   211のお姉様はじめ、長老各位  
踊りは云う迄もなく、踊り以外の七代目の三津五郎のご記憶はありませんでしょうか?


218 :重要無名文化財:04/03/26 20:39
>>206勘太ちゃん。着物が脱げちゃったのですか?

49年ころか50年ころか、三役交代の勧進帳をやった時のこと、
いつもはバーちゃんがスポンサーなので1等席で観ていたのですが
交代がみたくて一幕見に行きました。吉右衛門が弁慶のとき
袴が脱げそうになったのですよ。もう劇場中大騒ぎ。

後見か黒子だかが出てきてそっと直してましたがなにしろあの動き。
直すほうも必死、演ずるほうも必死、当人は何事も起きていないと
いう演じ方、終わったときはよかったという安堵の拍手でした。


219 :重要無名文化財:04/03/26 20:40
>216
そう、あの山門。本興行最後の3日間。
あと1人は尾上梅幸でしたね。
当時は「松緑の快気祝い」と聞いてたけど...。
中村歌右衛門の「巡礼に御報謝〜」が今も耳に残ります。
一幕見も溢れんばかり。
歴史に立ち会ったという思いがしました。


220 :191:04/03/26 20:53
>>191   211のお姉様はじめ、長老各位  
踊りは云う迄もなく、踊り以外の七代目の三津五郎のご記憶はありませんでしょうか?


221 :重要無名文化財:04/03/26 20:55
すんません、Wってしまった↑

222 :重要無名文化財:04/03/26 22:35
だれもカンタの供奴のことは教えてくれないのね。・゚・(ノД`)・゚・。 ウエーン!

223 :重要無名文化財:04/03/26 22:47
兄さんの方でつ 供奴で衣裳が脱げても動ぜず踊り抜いたのはーー小山三さん談

224 :173:04/03/26 23:59
確かに着物が脱げた事は有りました。
私は現場は見ていませんが>>223さんのおっしゃる通り、そんな大変な
ハプニングにも拘わらず、堂々と踊り抜いたそうです by演劇界
踊り自体は代々の血か、もの凄く勘が良く、ゴムマリの弾むような踊りでした。
花道を掛けだして来て、トンと足踏みをする間なんか実に達者でしたね。
ただ、あれを名優の演技と同列に論じて良いものかって事になると、
正直?でしたね。
少なくとも歌舞伎座でお金を取ってお客様に見せるものかと思います。
歌舞伎ではチョクチョク、御曹司がまだ小さい時に大人の役をさせて
お客の前に出しますけれど、これは本当に座組のおまけ、ご愛敬と言う
ものでしょう。
しかし、否定しきるものでもなく。
贔屓にするお客には、この優のこんなものを見た事が有ると言う良い
想い出にはなるのですから。

勘三郎に関しては賛否両論が有りますが、生身の人間のやる事、
それで良いのでは無いでしょうか。
特に癖の強い優では当然と思います。

例えば歌右衛門。
稀代名女形で有る事は間違い有りませんが、総てを肯定して良いか
どうかは、私は疑問に思っています。
玉藻前の通しを国立劇場でやった折りに「萩の方」を見ました。
確かに素晴らしい演技でしたが、幕切れ、桂姫の首を打った金藤次に
長刀で打ち掛かる。
自分の見せ場の為の演技で(本行にはない)正直、性根が違うと
思いました。萩の方は女武道では無いのですから。

225 :重要無名文化財:04/03/27 00:16
>>213さん、お若いのにお話があいますね。初瀬は山形屋女房おれんがいいです、もちろん
山形屋は郡司良。園芸商の高橋の千葉蝶三郎は絶品ですよ(愚兄愚弟、これ別名どんぐりころころ)
私は歌舞伎一筋で70年みてきましたが、あの千葉蝶の巧さはなかったです。もう絶品!
勘三郎丈に関しては、ある友人が「日本一下手くそ、勘違い野郎」と表現しましたが、
私はなんともいえません。

226 :重要無名文化財:04/03/27 00:17
>>191さん
私の歌舞伎初体験(当時小学生)で、三津五郎は
「四の切」の義経を演じていました。
それまではラジオで舞台中継を聞いていましたので、
特徴のある含み声で直ぐ分かりました。
おっとりとしていい御大将でした。
まもなく病魔に倒れたので、これが私にとっては
唯一のチャンスとなりました。

227 :重要無名文化財:04/03/27 00:21
まさにおっとりとしていい御大将でしたね。
勘三郎に関しては、どうしても好きになれませんでした。たぶん役者として血が
なかったのでしょう。

228 :191:04/03/27 01:15
   私も小学生でした、靭猿 矢の根 喜撰等々を観ていた記憶があります。
変わったところでは 赤垣源蔵徳利の別れ”みたいの演目の、源蔵の兄=科白回しが
フニャフニャでして、子供心にも奇異に感じたのを覚えています。

229 :重要無名文化財:04/03/27 14:24
勘三郎の評価が二分されてますねえ。
このような場がなければ、(評論家じゃない)お金払った一般人の話を
伺うことはなかったでしょう。もっと、聞かせてください。
私も書き込みます。

230 :重要無名文化財:04/03/27 18:32
中村屋の大ファンですが、仲間の女の子、弱冠25歳。この子の言うには「若手から尊敬され、芸に厳しく
根っからの芸あほだの、芸の神様だの言われている勘三郎の芸ほど見るに耐えないものがある。
まったく芝居の意味がわからないというか、よほど頭が悪いというか。もう舞台にでてくるだけで
勘三郎ひとりのおかげで、芝居がめちゃくちゃになってしまう」だそうだ。
芝居のことでほとんど気が合うんだけど、勘三郎に関しては、もう一歩も譲らない。

231 :重要無名文化財:04/03/27 18:43
>>230
それって主語を息子に変えても、まんま通じるな。

232 :重要無名文化財:04/03/27 20:45
230さん、中村屋死んで15年は経つので 25歳のその女の子は一桁代で、どの程度の舞台を観ての評価でつか?
私も決して中村屋まんせい”一辺倒ではないのだが、その彼女まさかVTR等だけでの評ではありますまい。
      <息子の間違えているとしか思えないのだが>
                                      

233 :重要無名文化財:04/03/27 20:48
訂正↑ <息子の勘九郎と”間違えているとしか思えないのだが>

234 :重要無名文化財:04/03/27 20:58
勘三郎でよかったのは、豆腐買おむらや娘道成寺の所化だな。
あれはもう当代随一、名人の一語に尽きた。

235 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/27 21:55
>>230さん、お仲間のお嬢さんはずいぶん辛口ですね。
勘三郎丈は、お客に受けることが好きで、
いささか芸がくどくなる傾向があったけれど、
自分はそんなに嫌いではありませんでした。
「宵宮雨」とか「忠臣蔵」の師直など、楽しませてもらいました。


236 :230:04/03/27 23:52
このお嬢は、若いのによく見てます。当代は吉右衛門、芝鶴さんのおきつにも
関心してましたし、なにしろよく勉強してます。「セガレの方がまだましですよ」
と自身満々におっしゃる子で、正真正銘のアンチ勘三郎ですよ。いかにセコかということなら
一晩中語ってます。それが全く理路整然で本になるくらいです。酔うと最後の棄て台詞が
「あんなセコオヤジについた小山三は日本一不幸な役者だよ!」まあ、そういう人もいるんだという
・・・ただそれだけのはなし。

237 :重要無名文化財:04/03/28 00:21
25歳の小娘になにがわかるか!といいたいところですが、もしかしたら
確かにそうかもしれないな、と思わせるような娘かもしれませんね。
私のように50年以上見てれば、わかるという世界でもないし。案外そういう
お若い方のが見る目はあるかもしれません。ちなみに私は中村屋は苦手な役者でした。

238 :弱冠60才:04/03/28 00:22
>>236 マジレスですんまそん、25才のお嬢さんのお話
新駒屋の芝鶴さんは23年も前(昭和56年)81才で亡くなっておるんですが


239 :173:04/03/28 00:36
昔の映像でしょう。
NHKのBSでは一時期昔の放送の特集をやっていましたから。
芝鶴さんのおきつは、若き日の歌右衛門特集の籠釣瓶で出ました。
次郎左衛門が勘三郎で。

芝鶴さんは2、3度は見ているはずですが良く覚えていません。
一つだけ51年の歌舞伎座で田舎源氏の出た折り、敵役のお局様?を
やったのが目に残っています。
しゃがれた声音で、こんじんまりとしたお婆さんでした。

240 :232:04/03/28 00:49
>25歳のその女の子は一桁代で、どの程度の舞台を観ての評価でつか?
>その彼女まさかVTR等だけでの評ではありますまい。

な〜んだ、実際の舞台は観ていないのか! 画像だけでの評価か、ぷ


241 :重要無名文化財:04/03/28 01:09
9代目団十郎の紅葉狩は(R

242 :重要無名文化財:04/03/28 01:14
初代の左團次の映像を見ると(R

243 :GINZA:04/03/28 02:06
おいおい生と映像は、ある意味 別物と言うぜ!少なくても自分は観た舞台を基に
     かきこ&レスしてきたよ。延若さんもそうですよねえ。

>>230 偉そうなこと言う25嬢のこと書くのなら、予め画像からだって言って下さいよ
  どうも年齢が合わず? 白鸚と東宝に移り不遇のまま死んだ芝鶴まで出てきた。
              マジレスして損したよ。



244 :重要無名文化財:04/03/28 07:13
25歳嬢、小さい頃から見てたのならまわりの受け売りというか影響もあるのでは?
自分もほぼ同世代なんですが、祖母から洗脳のように歌舞伎の話を聞かされて
育ったので。

245 :重要無名文化財:04/03/28 10:12
ていうか25歳嬢語りのおばあさん(おじいさん?)誤字多すぎ。年寄りのくせに。

246 :重要無名文化財:04/03/28 10:38
マアマア
映像や受け売りで評価されちゃ役者も堪らんが、そんな人もいるって事で。
また〜りと舞台の思い出を語りやしょうや(w

247 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/28 11:07
>>243さん、もちろんです。
自分の場合も、すべて生の舞台を観た時の感想です。
なにしろ、スレの題名が(思い出)名舞台・名場面(記憶)ですから。

河内屋に関して言えば、
NHK教育の歌舞伎番組で「四谷怪談」の早替りだけ撮影した時、
「何度も撮り直しして、何も一番出来悪いのを放映しなくたってねぇ」
と、ぼやいていたのを知っています。
映像だから最高のものが残されているとは限らないです。


248 :重要無名文化財:04/03/28 11:44
ってか25歳嬢が勘三郎についてここに書いたわけじゃないんだし。

249 :重要無名文化財:04/03/28 12:00
年寄りの自作自演?

250 :重要無名文化財:04/03/28 12:05
申し訳ありません。私の書いたことで皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。
なにぶんにも年寄りのことで誤字も多くすみません。
まあその25歳の子は、学校でも歌舞伎を勉強し、往年の役者はビデオとテープなどしかもちろん
接していませんが、勘三郎だけは画像でなくテープを聴いて一瞬に「まあ、なんという大根役者なの
よくこれでよく役者がつとまるわね」といったそうです。他の役者についてはなにもいいませんが、
勘三郎だけは黙ってません。
という、もう一度言いますが、ただそれだけの話でございます。御無礼しました。

251 :揚巻:04/03/28 12:26
まあ、ばあさん責めてもしかたないだろう。
次回から気をつけて書けばいいんだし。
で、ばあさん、あなたがご覧になったもので
印象深い演目があったら、ご教示くだしゃってくださんせ。

252 :重要無名文化財:04/03/29 02:32
>>251
おまいは長嶋の息子か

253 :重要無名文化財:04/03/29 13:06
先ほど海老蔵襲名のパーティの放送の中に、
十一代目團十郎襲名顔寄せの映像が流れて
どきどきしてしまった。
80名ほどが居並んだ襲名口上は壮観だった。
当時のどよめきが脳裏によみがえった。
DVDに取れたので嬉しいわ。

254 :銀座:04/03/29 18:45
余り舞台での印象が薄い、尾上九朗右衛門さん82歳ハワイにて〜合掌
め組の喧嘩”で座元を演じておりましたが、皆様の記憶は如何ですか。

255 :重要無名文化財:04/03/30 09:56
25歳の小生意気なお嬢さんの話は、もう結構かと。
勘三郎はたしかに舞台を破壊する傾向はあったが、
あの愛嬌とフラは、やっぱり未だに記憶に残る。
ビデオやフィルムやテープじゃわからない芝居小屋の臨場感が
楽しくて細く長く芝居をみてる側からすると、そのお嬢さんの
話はどうでもいい。

256 :重要無名文化財:04/03/30 10:24
昭和歌舞伎、私もなんとか間に合った口ですが、このスレでも何度も出てる通り、
客席はガラガラでしたね。
歌右衛門時代と言い換えてもいい昭和の歌舞伎は、文化人や教養人のための芸術と
いった趣が強く、高尚すぎた側面もあったと思います。
>>224
同感ですね。
歌右衛門は自分のための芝居しかしない人でした。
その意味では勘三郎ととても似ていました。
吉右衛門劇団が吉右衛門亡き後、歌と勘三とで常に真っ二つに割れ、仲裁するのが
常に幸四郎だったのもむべなるかな、です。

私個人は、当時お勉強気分で歌右衛門の舞台を好んでみておりましたが、
今となって記憶に残っているのはむしろ菊五郎劇団の梅幸と松緑です。
ところが、彼らの舞台を歌右衛門を語るように語れるか?というと、これが難しい。
「気分がよかった」ということしか残っていないからです。
別の意味で生理的に記憶している役者は、延若、二代目鴈治郎、十三代目仁左衛門
と、なぜか全員上方だったりします。
特に延若。ああいう役者さんはもう二度と出ないでしょうね。間に合ってよかったと
一番強く感じています。大好きな役者でした。

257 :重要無名文化財:04/03/30 13:20
>>255さんのおっしゃるとおり(・・・みてる側からすると)なんですが、
ほんとうにそうなんですが・・・・どうでもよくはないんですな、これが。
ずぶのド素人の小娘がまさに直感で下した評価だからこそ新鮮で考えさせられるものがあります。
確かになあ、、と。ですからそれだけの話であって、どうでもよくはないのです。

258 :重要無名文化財:04/03/30 13:36
九郎右衛門、35年ほど前に大序の足利で観たのが生涯唯一でした。もちろん梅幸の判官、顔世が
芝かん,師直が八世三津五郎。この役は結構な顔でした。

確かに我々じいさんの意見より小娘さんのお話のほうが興味がわきますね。
固定観念がない分、なかなかおもしろいですよ。どうでもいいなんて、そんな
目くじらたてないでも。

259 :重要無名文化財:04/03/30 13:38
>>256
私も延若さん、いちばん印象に残っています。
実直でありながら、怪異というか魁偉というか、
特に時代物にあの古魁なマスクが似合っていました。

260 :173:04/03/30 14:40
>>257さん。
いい加減にして下さいな。
折角色々な舞台の思い出を書き込みたいのに、雰囲気が悪くなってしまって
書き込み辛いです。
却って、そのお嬢さんが気の毒に思えますよ。
生の役者を見ずに印象だけで批評するなんて。
例えば今の雀右衛門。
当時は扱いが、不遇とまでは行かないけれど悪くて(歌 梅 芝翫の下の扱い)
当人も覇気が無く、それなりの女形でした。
正直、今これだけの立女形になるとは思えませんでしたもの。

261 :重要無名文化財:04/03/30 14:46
まあまあ、あちらさんもこちらさんも。
25歳の人についての書き込みは「書き込んだ本人の思い出」じゃないからスレ違いだけど
参考意見としてはまあ、一回ぐらいは書き込んでもいいと思うよ。
しつこいと鬱陶しいけど。

というか、しつこく自分の意見でもない25歳の人の意見を何度も書くのも鬱陶しいし
それにしつこく絡むのも鬱陶しい。

262 :重要無名文化財:04/03/30 14:59
私は257さんじゃないけど、そういう人(小娘)の意見ほど新鮮で興味深いといってる
ということが一番伝えたいのであって
この期に及んで、「生の役者を見ずに印象だけで評価するなんて」という発言そのものを
みていますと、いまここでおきてることの理解がされていないんではないでしょうか?
173さん、伝わりますか?割り込みですみません。

263 :255に感謝!:04/03/30 15:08
うっとおしい、もう反応するなよ! レスNO.の無駄

>>259 写楽の浮世絵を彷彿するような河内屋さん、諸事情で四代目の
名跡を継ぐ〜〜が難しいとの噂、残念です。


264 :重要無名文化財:04/03/30 15:22
>>261
禿あがるほど同意。
荒らし、煽りは無視・構う貴方も荒らし。

素敵な思い出、たくさん聞きたいです。
役者の好き・嫌いは、あってあたりまえだけど
ここで聞きたいのは、そのそれぞれの舞台の
名アンサンブルだと思っています。



265 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/30 16:01
>>256 >>259 お二方ありがとうございます。
河内屋は、歌右衛門丈・勘三郎丈のような派手さはないけれど、
独特の魅力のある役者さんでした。
大好きでした。
自分だけでなく、こんなに大勢の方が同意見なんて
本当にうれしいです。
老若男女・立ち役から老け役まで、芸域の広い方だったので、
思い出の舞台もあり過ぎて困るほどです。



266 :重要無名文化財:04/03/30 16:54
ちょっとごたごたがあったので一つ提案。
ここのスレのご常連は、265さんのように
コテハン持って下さるとレスにも関連性が
感じられていいように思うんですが、
いかがでしょう。

267 :重要無名文化財:04/03/30 17:00
コテハンと言うのは何ですか,お教えください。

268 :重要無名文化財:04/03/30 17:04
固定のハンドル、略してコテハン。
ハンドルとは、ネット掲示板で名乗る名前。
ちなみに>265 はハンドルだけでなく、2chの機能である
トリップというのを使っているので、個人の特定ができる。
トリップの詳細その他専門用語は総合案内でもみてくれい。
こんな板のこんなスレだと親切にマジレスしたくなるもんだ。

269 :重要無名文化財:04/03/30 17:15
266です。268さんありがとう。

ここは年配の方が多いのに、説明不足でごめんなさい。
265さんを例にとると、名前欄の
「三世・・・」がコテハン、
「◆」以下が、268さんご説明のトリップです。

270 :267:04/03/30 17:24
有難うございます。ご親切に
私は267こと89歳のおばあさんです。歌舞伎・新派・新国劇・松竹新喜劇・落語
が趣味です。好きな役者は,当代吉右衛門、我童丈、成太郎、先の鴈治郎。どうしても
上方びいきになったてしまいます。ここでも何度か登場の我童丈の神秘さは凄かったです。

271 :173:04/03/30 18:53
私の書き込みで板が荒れましたようで、誠に申し訳有りません。
深くお詫び申し上げますm(_ _)m

ただ、>>262さん。
私の言っているのは、もう25歳のお嬢さんの事は結構と言っているのです。
ここは舞台の思い出を書く板なのですし、お嬢さん本人の書き込みでは無いのですから。

大変失礼致しました。
これで最後とさせて戴きたいと思います。



272 :255に感謝!:04/03/30 19:25
173さん、
257,362みたいなのに 反応すること無いんだよ
思いっきり、思い出話を書いて下せえ。

因みに昭和25年頃の東京劇場閉館時の最後の舞台<五人男の勢揃いだったか>
劇的なシーン、覚えていませんか? 幼児の私も薄々記憶の中にあるのですが。 

273 :重要無名文化財:04/03/30 19:31
>>272は 「257,262みたいなのに 反応すること無いんだよ」の間違いです。すみませぬ。

274 :重要無名文化財:04/03/30 20:34
河内屋って、ホント、ついてなかったですね。
たしか逝去のときの新聞記事も何か大事件があって小さく扱われていたような気がします。
でも、このように隠されていた本音が言えるのが、2チャンの良さですね。

275 :重要無名文化財:04/03/30 20:50
信楽高原鉄道の列車事故です。
河内屋私も大好きでした。
水落潔氏が追悼文で「いすかのはしの食い違い」
と書かれていたのに涙しました。
いま河内屋存命なれば,歌舞伎がどんなに豊かなモノであったか。
河内屋をもっともっと評価すべきです。

276 :272:04/03/30 20:53
三代目,河内屋
戦後、つづら抜け、とか 乳房榎ーー大滝の3役早変わりも最初に復活したのかな。
親父に連れられ東劇で、二代目の五右衛門を観たような記憶があるですが
何ぶん 幼かったので覚えているような いないような。

277 :重要無名文化財:04/03/30 21:02
はじめて河内屋を見たのは、ずいぶん前の(30年くらい)大阪新歌舞伎座の
忠臣蔵とおしでした。
たしかじゃありませんが、たしか勘平をやっていたようなきがするのですが、
間違いかも。師直もやっていたのな。
それ以来、とても気になる贔屓役者でした。

278 :257:04/03/30 21:08
大変失礼しました。つい余計なことをいってしまい申し訳ございませんでした。272様
どうかお許しください。

さて昭和25年東劇で勘三郎襲名がありまして、勘三郎の大蔵はいまだ目に焼き付いております。
常盤はもちろん時蔵、成瀬が又五郎。又五郎さんがご存命は嬉しい限りでございます。
この頃は伸び盛りのもしほでした。この年の最後が白浪ですか?記憶が定かでありません。

279 :重要無名文化財:04/03/30 21:20
河内屋ファンて多いんだ。
オイラもその一人。
演劇会の追悼号、あまりに扱いが小さいんでナミダしたっけ。

280 :173:04/03/30 22:00
>>272さん。ありがとうございます。
>>278=257さん。
こちらこそ申し訳有りませんでした。
つい、言葉がきつくなってしまったと反省しています。
これからも宜しく御願い致します。

延若さんは私も好きな役者さんです。
(と言うか嫌いな役者さんはいません。どんな舞台も一期一会、大切にしたいと
 思っています)
大坂の役者さんですし、大幹部のような扱いではなかった(贔屓の方お許し下さい)
為、そんなに沢山の役を見ている訳では有りませんが、山門の五右衛門を見る事が
出来ましたし、過去ログに有る弥作の鎌腹も見ています。
なにより51年10月の歌舞伎座で「田舎源氏」を見た時、幕開きが延若さんの
「操三番叟」でした。
それまで演舞場の花形歌舞伎は見ましたが、初めての歌舞伎座の大歌舞伎で
ワクワクと色々勉強して行きました。
「三番叟」能から移した厳粛な舞踊と思っていたのに、初めて見る三番叟は
跳んだり跳ねたり、操りになったり。
歌舞伎ってこんなに楽しいんだって思いました。

281 :重要無名文化財:04/03/30 22:01
亡くなる時にも運不運がありますね。
河内屋もだけれど、松緑も美空ひばりの訃と重なって
扱いが小さくなって気の毒でした。

河内屋は、葬儀内容が会社側と遺族と対立して、
築地本願寺でのお別れが中止になってしまったんですよね。

282 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/30 22:42
皆さんのレス読んで、うれしくて涙が出そうです。
河内屋の贔屓になったのは昭和55年からで、
つまり最後の10年足らずしか知らないのです。
(諸先輩方を差し置いて、このコテハンはちと厚顔ですが、
どうぞお目こぼしのほどを)
昭和55年以前の舞台についてのカキコお待ちしています。

283 :272:04/03/30 23:01
282さん、銀座座布団から↑いつもロム 時々 レスしておりました。
三代目は前名(延二郎)時代から気になっていた優でした。
今は唯一人のお弟子さん延郎さんに つい声援をおくっております。



284 :重要無名文化財:04/03/30 23:10
一見おばさんのようだった延寿さんも、
師匠が亡くなった後何時の間にやら
姿が見えなくなりましたものね。

285 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/30 23:33
>>272さんは(銀座)さんでしたか、いつもレスお世話になってます。
今では「河内屋」の掛け声は延郎さんだけですしねえ。
ところで、もう一人のお弟子さん、若之介さんはどうなさったのでしょう?



286 :重要無名文化財:04/03/30 23:39
若之介さんはある方のお家に入って
そこで名前をもらっておいででしたが、
今は本名の宮脇さんで活躍してますよ。

287 :重要無名文化財:04/03/31 00:45
>173さん
歓迎再光臨。これきりかと心配してました。よござました。
これからも楽しみにしてますからね!
河内屋=信楽鉄道、松緑=美空ひばりでしたかあ。
そういえば、円生=パンダでしたよね。
小生、日本橋・高島屋の1階で河内屋さんと偶然出くわしたことがあります。
もちろん直ぐに挨拶申し上げ「中学の頃から見ていること」「珍しい芝居を
上演してくれるのが嬉しいこと」そして「大好きなこと」をお伝えしました。
少し恥ずかしげに喜んでくださった。
同じようなシチュエーションの時、天王寺屋は「握手しましょ」上機嫌で
おっしゃった。山崎屋は大企業の役員と話しているようだった。中村屋は
不機嫌だった。未だに「先生と呼びかけなかったのが、いけなかったんじゃ
ないか」と気にしてます。
けど、なんとなく人物が伝わって、面白いでしょ。

河内屋さん、初めて見たのは四谷怪談の直助権兵衛(だったと思う)。
お岩様は中村屋、伊右衛門が勘弥、そして宅悦が尾上鯉三郎。
これが私が鯉三郎を見た最初で最後でした。亡父のおかげであります。
生きてれば80半ばの父が「この人、よく見ておきなさい」と言ったのが
2人いまして.....1人が鯉三郎、そして今1人が千葉蝶三郎です。


288 :重要無名文化財:04/03/31 02:37
教えてチャンですみませんが
ここの方々は昔のことにもお詳しいようなのでお尋ねします。
昭和31年か32年の大阪新歌舞伎座で上演された「河庄」で
小春を演じていたのは誰だったのでしょうか?
歌右衛門丈か雀右衛門丈のどちらかと思うのですが
まだ中学生だったのでよく分からないのです。
治兵衛は先代雁治郎丈でした。小春がとてもかわいらしく
私が歌舞伎にはまるきっかけになった舞台でした。
ご存知の方よろしくご教示ください。

289 :288:04/03/31 02:44
まちがえました。
「昭和41年か42年」でした。

290 :173:04/03/31 12:47
>>287さん。ありがとうございます。
>>289さん。
あの河庄は間違いないのでしょうか?
演劇会のバックナンバーで調べたのですが、41、42年の新歌舞伎座で
河庄は出ていないようです。
ただ、42年の2月に初代鴈治郎の三十三回忌追善興行が行われ、演目に
時雨の炬燵が出ています。
治兵衛が二代目で おさんが歌右衛門 小春が三代目(当時扇雀)
孫右衛門 高砂屋福助 五左衛門 霞仙 三五郎 成太郎 
太兵衛 璃? 善六 松若 等となっています。

291 :重要無名文化財:04/03/31 13:05
111 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:04/03/31 12:23
>>109
108ではないが、そのスレッドは
良いスレだとは思うが鬼籍に入られた
名優・名舞台というイメージ。
当代の仁左・玉の事など語り出そうものなら
やれ、ヲタだのひきたおしだのと、
煽られそうで、おーこわ。

292 :289:04/03/31 14:12
>173さん 
レスありがとうございます。
なにせ学校行事の演劇鑑賞で何の知識も無いまま女形に魅せられ
その後高校3年からバイトして劇場にいくようになるまで
歌舞伎はなかなか見れなかったので記憶がすごくあやふやです。
小春・治兵衛の名前だけ頭に残っていたので
てっきり「河庄」と思い込んでいたようです。
私が見た素敵な女形さんは「おさん」の歌右衛門丈だったのですね。
長年の疑問がようやく解けました。
ありがとうございました。

293 :257:04/03/31 18:51
最後の河庄で我童のお庄は絶品でした。小春は歌右衛門。
42年の三五郎の成太郎、お庄はもちろん、おさんも出来たのに、体調がよくなかったので
この役になりました。当人は辛かったと思います。

294 :重要無名文化財:04/04/01 00:32
>282さん
昭和55年以前の河内屋。記憶だけで書きます。
片岡仁左衛門が勤める前、沼津の平作と言えば丈の役どころ。重兵衛(鴈治郎)
との遣り取りを南座の顔見世で見たのは、昭和50年代初め。荷物のリカクも勿論
健在で、芝居の面白さを堪能させてくれました。何処かサラサラした仁左衛門
より、私は「良かったんじゃないか」と思ってます。
村雨松風の漁師、玉藻前の金藤次、吉野川の久我之助、加賀見山の岩藤、封印
切の忠兵衛、太十の光秀。国立等で成駒屋一門と一緒することも多かったです
ね。こう見ただけで、役柄の広さに驚かされます。
ただ、歌舞伎自体の集客も悪かったけど、主役となるとお客を呼べなかったよ
うな気がする。我童さんと一緒で、運も悪かった。あの人が人間国宝なのに、
あの人が芸術院会員なのに.....今でも思います。けど、私達の目にシッカリ
焼き付いてます。これからも語り伝えましょう!
NHKの大河ドラマ、昭和39年の「赤穂浪士」にも出てたんじゃなかったけ?
千坂兵部だったような気がする。どなたか覚えてらっしゃいませんか?


295 :257:04/04/01 10:41
河内屋は「健礼門院」の清盛の熱演を思い出します。我童さんをおっかけて名古屋まで行きました。
今、河内屋がご存命なら、序列は芝かんさんの上だから・・・もう頂点でいらっしゃいましたね。
ほんとうに残念です。

296 :173:04/04/01 21:09
>>292さん。
どういたしまして。このくらいの事でしたらいつでもお役に立ちたいと思います。
それよりも実に素晴らしい舞台を見ていらっしゃるんですね。
劇評でも絶賛されています。羨ましい限りです。

「弥作の鎌腹」昭和53年4月
弥作 延若 弟和助 梅玉(当時福助)女房おかよ 芝翫 代官妻 我童
娘 魁春(当時松江)七太夫 八百蔵
珍しい狂言なので簡単なあらすじでもと思いましたら、去年の歌舞伎フォーラムで
上演されたので、その公演の記録が有りました。参考にどうぞ。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching23.htm

297 :173:04/04/01 21:10
延若さんに絞っての感想は、まず弟和助とのやり取り。
代官の婿になれ、いや、ならぬと真面目なお二人の掛け合いが面白かったです。
とど、和助が婿になれない訳、赤穂義士として敵討ちをしなければならない事を
打ち明けて、しかも仇討ちの後に「腹を切らねばなりません」とキッパリと言うの
を受け、
「忠義とは難しいものじゃなぁ」
延若さん独特の声音が耳に残っています。
お二人とも真面目な芸風で、有る意味馬鹿馬鹿しい内容の芝居を実に丁寧に
演じていました。
特にこのすぐ後、弥作が切腹の作法を和助に聞いてメモする場など、漫才じみた
やり取りですが、上品な可笑しさで纏めていたと思います。
延若さんの演技は終始、朴訥で実直な弥作そのままで。
七太夫(八百蔵さんも憎々しげな好演)に迫られ、ついに大事を漏らす場、後悔
して七太夫を鉄砲で撃ち殺す場、最後の鎌での切腹の場。
特に見せ場の鎌での切腹の場。
教わったとおりメモを読み読み支度をするのですが、畳の代わりの茣蓙、樒の
代わりの大根。九寸五分の代わりの鎌。
悲劇の中に可笑し味を付ける事で、より一層悲劇を強調すると言う歌舞伎独特
の演出が輝いていました。
素晴らしい演技だったと思います。

298 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/01 23:19
さっそくのカキコ、それもこんなに沢山!
皆さんに多謝、多謝!
延若丈は、ご本人の性格とシンクロするような
律儀で生真面目な役が、またとても良いんですよね。
「弥作の鎌腹」素晴らしかったというご意見、非常に納得できます。
しかし、自分が観始めた年のたった2年前とは。 
もしかしたら間に合っていたかと思うと、く、口惜しやー。



299 :重要無名文化財:04/04/01 23:38
>297
「悲劇の中に可笑し味を付ける事で、より一層悲劇を強調する」そうで
した、そうでした。おかげで、舞台が蘇りましたです。切羽詰まり腹を
切っていく局面での三味線は「志度寺」と同じ旋律。「ああ、こういう
時、これ使うんだ」と教えられましたね。


300 :173:04/04/02 01:00
>>299さん。
あなたもご覧になっていらっしゃるのですね。
本当に良いものを見たと思っています。
それで、お訊ねしたいのですが、歌舞伎フォーラムで上演されたものは弥作が
自分で腹を切れずに、いわば事故のように書かれていますが、延若さんの時は
躊躇いながらも自分で切ったように覚えているのです。
私の記憶違いでしょうか?

301 :重要無名文化財:04/04/02 02:40
>173さん
私も「自分で切った」ように記憶してます。
事故じゃねえ、芝居になりませんです。


302 :重要無名文化財:04/04/02 17:23
歌右衛門が亡くなったすぐ後の、梅玉の頼朝の死。
本人と役を勝手にダブらせて観ていました。


303 :173:04/04/03 01:12
>>301さん。
ありがとうございます。
幕切れまで繋がりました。

こういう演出の違いが、大歌舞伎と小芝居の本質の違いなのかも知れませんね。

304 :重要無名文化財:04/04/04 10:10
昭和の名優と言われる人達に間に合わず、残念でたまらぬ私です。
しかし、自分の誕生日ばかりはコントロールできません。
これまで見たものを大切にし、この書き込みを読んでは「昔の舞台を
想像したい」と思います。写真でしか知らない実川延若、生の姿を偲ぶ
ことが出来、とても嬉しかったです。
ところで、私が見始めた頃は、市村羽左衛門が主役の座に居ました。
私の目からは立派に感じたのですが、誉めると「エライ人が全滅し
ちゃったから、押し上げられただけ」とか「幸四郎、勘三郎、松緑を
知らないから」と冷たい言葉が返ってきます。
実際のところ、どうなのでしょう。羽左衛門と3優の間には、それほ
ど大きな差があったのでしょうか?評論家の劇評は、あまり悪くなか
ったように記憶してます。
此処におられる、実際にお金を払って入場する見巧者の皆様、教えて
ください。


305 :173:04/04/04 14:40
>>304さん。
私は決して見巧者では有りませんが、羽左衛門と「幸四郎、勘三郎、松緑」
の差は感じられました。
その差はそんなには大きなものでは無いのかも知れませんが、そのホンの
僅かな差が大きかったと思います。
特に歌舞伎では「華が有る」と言いますか、出たただけで観客を圧倒し、
浮き浮きした気分にさせる役者がいますが、羽左衛門丈はそれが無かった
と思います。
確かに勉強家で、昔の書籍とか、名優の書き残したものとかを、色々と読んで
いらしたようですが、それが残念な事に頭で理解して体に表れないと言ったら
言い過ぎかも知れませんが、そんな感じでした。
歌舞伎の演技は理屈ではなく、役者の持ち味が大きな比重を占めていますから。
もっとも、若手の頃から「菊五郎劇団」で、海老蔵(十一代目団十郎)
松緑の次の位置で、脇に回らざるを得なかった為に仕方の無い事かも知れ
ません。脇に回った事も、劇団の運営を円滑にする為に、聡明な羽左衛門丈が
敢えて2番手に甘んじたのかも知れません。ただ、その為に演技が主役のもので
は無くなってしまったとは言えると思います。
その代わり、丈の仁を活かせる役々は素晴らしいものだったと思います。

ざっと思い出しても 忠臣蔵の石堂 鮨屋の梶原 賀の祝の白太夫 三人吉三の伝吉
妹背山御殿の入鹿 暫のウケ 髪結新三の家主 
丈がいなかったらと思う舞台ばかりです。

306 :重要無名文化財:04/04/04 15:44
>>305
同意。華がなかったかもしれないが、かといって
いなければいないで舞台の風格がない。


307 :重要無名文化財:04/04/04 16:59
>304さん
良い質問です。歌舞伎の本質に関わるものです。
じわが来る。華がある。是非見に行きたい。という人ではなかった。
例に引くのが適当かどうか分かりませんが...勘三郎が12月の国立劇場
で演じた逆櫓の松右衛門。この時の劇評が確か「花道に現れた途端、
1月早く正月が来たような気がする」。生涯、この手の評とは無縁の人
でした。羽左衛門に対する評で記憶に残っているのが、暫だったか安倍
宗任だったか「一級品である」というもの。わざわざ「一級品である」と
書かれるのが辛いですよね。けれど、華・じわ・オーラは、努力したから
といって身に付くものじゃない。副将格が長かったという経歴も果たして
関係あるかどうか。同じような役どころなら、河原崎権十郎の方が、
「華があった」ような気がしてならないのです。
立派な人だったらしい。最後は(確か)人間国宝でした。劇評としては
「扱いにくい」存在だったと思います。
歌舞伎とは劇を見るのでなく、殆ど役者を見物に行くもの。丈は、
その狭間で苦闘した人かもしれません。

小生が見て良かったのは、島チドリ月白浪の望月輝。明神峠で(確か)
尾上梅幸の弁天お照を助けるところ。「明治の士族って、こんなだった
に違いない」と思いました。
歌舞伎だけでなく、映画・TVドラマや現代劇で活躍してくれてたら… 
そう思うことがあります。市村羽左衛門、私も興味のある優です。皆様
の思い出も、是非お聞かせください。


308 :重要無名文化財:04/04/04 19:25
羽左衛門,確かにシテの役者ではありませんですね。
丸本味も薄く,時代物もあまり映らないように思います。
(晩年の時代物の大きな老けは年輪で見せましたが)本領
はやはり世話でしょう。ただ,いわゆる時代世話の武家の
役は佳品がありましたね。合邦なんかなかなかでした。
(十三代仁左や河内屋に比べれば丸本味の薄さで一歩引けを
とってしまいますが)


309 :重要無名文化財:04/04/05 09:30
この「合邦」が大変なお役で、三津五郎、羽左衛門、仁左衛門・・・もちろんそれぞれの味と工夫で

310 :重要無名文化財:04/04/05 11:01
>309さん
この○×が大変なお役で..... 懐かしい!
歌右衛門ですか?筋書に載ってましたよね。
一条大蔵の常磐御前の時は「この常磐が、また大変なお役で
長袖に交わり、腹は源氏で」云々。勉強や仕事のことは忘れ
ても、どうして芝居のことだけ覚えているんだろ。


311 :309:04/04/05 11:58
お気持ちはよく分かります。

312 :272の銀座:04/04/05 19:58
橘屋さんのことは、既に皆様書いておられますねえ〜。私も好きな優でしたよ。

前名彦三郎から十七代目を襲名した昭和30年頃は、今だ花の十五代目の印象が
強かった、襲名披露の演目は“名橘誉石切”。

当時 菊劇団の立役には松緑、海老蔵(準劇団員の立場)が主役を張っており、
副将格に甘んじ、何かと忸怩たるものが〜、この点では一方の吉劇団の勘三郎、
幸四郎 対 勘弥の立場と通じるのかな。

京屋さん、天王寺屋さんの如く、役者の世界は長生きせねばねえ、この点、
喜の字屋さんは,残念ながらお亡くなりになるのが、早過ぎた。

橘屋さんも長老の立場になって花<華>が、確か60才を越え、やっと勧進帳
の弁慶を本興行に“出せた”「これぞ弁慶そのもの、他の優を観慣れた者に
とっては、素晴らしい大人の骨太の弁慶」と劇評でも絶賛された記憶。

この他、十五代目の追善興行とかに、主役を張った“助六、め組の辰五郎”
実盛、盛綱、扇屋熊谷、等々の各役を皆様方の記憶にプラス。 
 
 私の挙げる第一の当り役というと、メリハリの利いた科白と豪快な仕草が
ぴったりはまった(梅幸の弁天との名コンビ)南郷力丸を第一に挙げたいが、
これとても主役ではなかった。

313 :重要無名文化財:04/04/05 20:12
昭和の綺羅星のような名優が活躍していた頃、羽左衛門には、
正直まったく興味を持てなかった。
なにしろ、舞台がつまらない。
博学ではあったのかもしれないが、学者を見に行ってる訳でなし、
わくわくさせてくれるものがなかった。
が、晩年、六代目を直接知っている数少ない古老となってからは、
変わらず華や匂いはなかったけれど、律義で几帳面な芸格、
世話物の刹那の形の美しさ、「いもり酒」などマイナーな時代物で
見せる大きさなど、ひそかに感嘆することがふえた。
特に幕見では、居所や姿の適切さ・美しさに感動したものだ。

ただ、羽左衛門は「六代目の直伝」として、おそらく丈自身が
勘違いしていただろう型や下座演出を強要し続けた側面もあり、
博学=正しいとはばかりはいえない点もあったようだ。

314 :重要無名文化財:04/04/05 21:10
>313
「六代目の直伝」このあたりが河内屋の立場を微妙な物に
したのかな??

315 :重要無名文化財:04/04/05 21:17
「ウザイ」のウザ右衛門

316 :重要無名文化財:04/04/05 22:38
>>315
悪口書くときは誤字とか気をつけような。とくにここみたいに品のいい(wスレでは。

317 :重要無名文化財:04/04/05 23:20
>312さん
う〜ん、勘弥と対比しちゃいますか。
う〜ん、勘弥が気の毒だなあ。
同じ南郷なら、ドチラガ見たい?

318 :272:04/04/05 23:33
う〜ん、難しい、好きずきですね。  紙一重で橘屋でしょうか。

319 :重要無名文化財:04/04/05 23:40
羽左衛門の芸談「客」「客」と
お客を呼び捨てにするえらそうなかんじが
苦手でした。

320 :重要無名文化財:04/04/06 00:23
羽左衛門、初めて見た時から「面白い」とは思いませんでした。
最後まで「面白い」とは思えませんでした。
なのに、晩年になってから劇評は急上昇し...自分の目との
ギャップに何時もとまどってました。
つまらない名優なんてものが、此の世に存在するのでしょうか?
華のない名優が あって良いのでしょうか?

幸四郎、勘三郎、松緑 亡き後、最後まで生き残った丈に対し、
「つまらない」とは書けなかったのかなあ。お金を払って御覧
になっていた皆様の評を読み、いろいろな事を考えています。






321 :重要無名文化財:04/04/06 00:31
羽左衛門、名前が悪かったんじゃないかな。
あれがもし、権三郎とか権太郎だったら
「ああ、立派な合邦でしたなあ」「ああ、弥陀六を見せた
かったねえ」とか此処で語り合ってるような気がする。

前名・彦三郎だって、確かバンピコと讃えられた、明治初期の
劇壇を支えた人でしょ。なんでまた、羽左衛門なんて無茶苦茶
大変な名前を継いじゃったんですか?
御存知の方、おられたら お教えください。

322 :重要無名文化財:04/04/06 00:45
16代目の女方の羽左衛門ってのがいたが、そいつが
早世したことが、思いもかけぬ襲名につながったんじゃ?
衛さんの系統は正之助?の権十郎襲名とか、
不可解な襲名がおおいじゃん。

323 :173:04/04/06 01:38
>>321
まぁ、そんな事もないんでしょうが、先代のイメージが強すぎたと言う事は
有るかも知れません。
ただ、不可解な襲名では有りません。
16代目の早世が原因ですけれど、17世のお父さんの6世彦三郎丈は
5世菊五郎の息子ですから(5世菊五郎=13世羽左衛門)17世は
市村家の本流と言う事になります。
確かに、15世羽左衛門には他にも養子(吉五郎)がいましたけれど、
未亡人と色々有ったらしく、上記の理由で丈に落ち着いたようです。
この市村家=江戸座元と言う自負は、かなり大きく丈の精神を支配して
いたらしく、晩年「六代目」「六代目」と事々にくり返したのは、
「六代目」の芸の継承者は他にもいるが、自分は五代目からの直系だ
との強い自覚が有ったのでは無いでしょうか。
その証拠に丈の役に付いて語ったものを読むと、対面の工藤始め、
太夫元(江戸三座)の家の型と言う言葉が数多く出てきます。
自分は市村の座元なんだと言う自負でしょう。
でも、実際としては団十郎 松緑 勘三郎 幸四郎 等の下に
付かざるを得なかった。どんな気持ちだったでしょう。
晩年「六代目」の権威に縋らざるを得なかった。有る意味、
哀しいとも思います。

324 :173:04/04/06 01:46
補足
初めは丈の長男(現彦三郎)をと考えたそうですが、15世羽左衛門の
未亡人の希望で、丈に決まったそうです。by演劇界・羽左衛門特集号

325 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/06 08:20
羽左衛門丈は、(楷書)の芸という印象があります。
きちんとしていてソツがない分、これという役が思い出せません。
唯一覚えているのが、髪結新三の時の大家の役。
裾をからげて新三を脅しつけるところ、あの勘三郎丈の新三に
「大家さんにはかなわねぇ」と言わせるだけの圧力がありました。
自宅に泥棒が入ったと聞き、あわてふためいて帰る様子の
可笑しさも、ペーソスが感じられてなかなかでした。

326 :重要無名文化財:04/04/06 09:37
亡くなった染升さんに、浜松屋の花道の按摩を懇切丁寧に1時間ぐらいかけて指導していた
橘屋には頭が下がります。その橘屋にたっぷりお役の説明をしている多賀蔵さんも凄かった。

327 :重要無名文化財:04/04/06 09:40
>325さん
そうですよね。幸四郎・勘三郎・松緑は、何年経っても舞台姿が次々と頭の
中に浮かびますよね。
「大家さんが、熊谷や実盛を演じたのだなあ」と思うと納得できる。
けど、劇評は悪くなかった。苦節何年で漸く丸本物の主役と言う人に、厳し
い筆は向けられなかったのでしょうか。あの辺りから、新聞の劇評が「誉め
るだけの劇評・筋を追うだけの劇評」になってしまったような気がします。

328 :重要無名文化財:04/04/06 09:51
>>326なんだかこういうおはなしはうれしゅうございます。

329 :重要無名文化財:04/04/06 10:03
舞台の感想ではないので邪道ですが、橘屋逝去後の記念放送で、NHKのスタジオ
歌舞伎「丸橋忠弥」を見たことがあります。
最近はこの演目そのものがめったにかからなくなっていることもあるのですが、
まだ若々しさの残る橘屋の忠弥には独特の艶があり、驚きました。
熊谷、実盛といった大きな役ではないのですが、たとえば「鈴ケ森」の長兵衛の
大きさと懐の深さなど、仁侠味のある役もよかったと思います。
髪結新三なら、家主ではなく鳶頭の役の方がニンだったのではないでしょうか?
時代は時代でも時代世話がよかったという意見もすごくわかります。
橘屋は意外なことにどこか飄々とした芸風があり、その淡泊さが実は江戸前だったん
じゃないでしょうか?
そこがねっちりした義太夫狂言ベースの名老優十三代目と違うと私自身は感じています。
歌舞伎はシンとなる役者だけでは成立しない。
それゆえ、地味だ地味だと思っていた橘屋が逝ってしまうと舞台がすかすかになり、
あらためて感じ入ることが多いこの頃です。

330 :重要無名文化財:04/04/06 10:13
329につけたしです。
新三は新三でも今の演出ではなく、原本通りの方です。
今の演出だったら、鳶頭ではなく家主になるのでしょうね。
出番がまったく違いますから。

331 :重要無名文化財:04/04/06 13:44
「丸橋忠弥」の金十郎、新七、多賀蔵といい顔だったね。

332 :重要無名文化財:04/04/06 19:29
>>329,330 全く同意ですね。 >鳶頭ではなく二つ名のある落ちぶれた親分。

333 :重要無名文化財:04/04/06 20:25
若いころ羽左衛門をハザエモンと呼んでました、(汗)
なんか好々爺というイメージしか思い浮かびませんね。


334 :重要無名文化財:04/04/06 21:02
↑ 芸能レポーターの福岡某もそう読んで、私はがっかりしましたっけ。

335 :重要無名文化財:04/04/06 21:09
>>333
私なんか、ハザエモンとウザエモンの2人がいるもんだと思っていた時期が。

336 :重要無名文化財:04/04/06 22:35
ウザエモンは、15代の花の橘屋で終り。

あとは皆んなハザエモンだね。

337 :重要無名文化財:04/04/06 22:35
初代辰之助って、美男でしたよね。「対面」の五郎は
かっこよかった。助六を演じたことはありましたっけ?
並のとかラ・マンチャンとか、首をひねるような人が
演じている写真はあるのですが、昭和50年代で海老蔵
(当時)以外に演じた人の感想をぜひ。

338 :173:04/04/07 00:28
初代辰之助 この優も、また、忘れられない役者さんですね。
大病を克服して復帰した歌舞伎座のお祭りの鳶頭。スッキリといなせで、また、
爽やかな世話物を見せてくれると思ったのに、僅か4ヶ月で………
口跡が良く、踊りも良い。江戸前の二枚目でした。

踊りの会は知りませんが助六は演じてはいません。
50年代以降、海老蔵以外で演じた役者は
猿之助 松緑 幸四郎 仁左衛門(孝夫)平成に入って 菊五郎 三津五郎 です。
やはり助六ほどのお役になると演じる優も少ないです。

記憶に残っているのは、なんと言っても昭和58年3月歌舞伎座での
孝・玉初役の助六・揚巻です。
揚巻、助六の出の瞬間、待ち焦がれる観客のジワは場内を圧倒して
いました。

339 :重要無名文化財:04/04/07 14:01
皆様、羽左衛門について 沢山お教えくださりありがとうございました。
役者は長生きしなきゃ駄目、観客は早く生まれなきゃ駄目ですねえ。
けど、篤実・一所懸命が伝わってくる丈の舞台、私は好きでした。
私の芝居の師匠は「菊吉っていうけどね、幸四郎・勘三郎・松緑の方が上
の芝居も結構あるんだよ」とよく言います。
皆様の御話を伺い、更に羨ましくなってしまいました。

これからも書き込みます。どうぞまた お教えください。
ありがとうございました。

304拝


340 :重要無名文化財:04/04/07 23:41
>173さん
羽左衛門襲名の経緯、お教えくださり ありがとうございます。
市村吉五郎....思い出してます。記憶違いだったら、御指摘
ください。もしかして髪結新三で車力善八を演じてた人?
あの人、あの15世羽左衛門の養子だったんですかあ?!

辰之助、実は真剣に見てませんでした。
私「死んじゃう前に沢山見て、将来自慢してやろう」の了見で
年寄りの役者ばかり追いかけてたんです。だから、辰之助は視野
の内には居たんだけど、目は丈を向いていなかった。
まさか、自慢の対象になるとは 思いませんでした。


341 :GINZA:04/04/08 00:33
340さん。車力の善八を演じてました。そういう役どころでした。

 私が辰之助丈を最後に観たのは国立の天竺徳兵衛。科白は噛むは動きも
 しんどそうで、体調が悪いのかなと思っていましたら〜〜。

342 :GINZA:04/04/08 00:47
確か、あの十二世仁左衛門の子息が、我童、吉五郎(市村家へ)、芦燕、

343 :173:04/04/08 02:13
>>340さん。
GINZAさんのおっしゃるとおり12世仁左衛門の次男ですが、15世に
乞われて、昭和15年に市村家の養子になったそうです。
本人が「のぞんで養子になった訳じゃない。(養子になった当時)
ちっとも父(15世)につとめなかった」と言っているように、養子に
は入ったものの、15世はともかく奥さんとはあまり上手く行ってい
なかったそうです。
役者としても、とても羽左衛門を継げる器ではないでしょう。
劇評では、お公家さん役が良いなんて評価されていますが、
これはおざなりな誉め言葉でしょう。本人も嬉しくはないと思います。

辰之助
この人も海老蔵(当時)菊五郎の次に置かれた人でしたね。
菊五郎のように器用でもなく、団十郎のように役者ぶりで見せるでもなく、
損な役所だったと思います。
一見器用に見えて、実は凄く不器用な人だったとも思います。

辰之助で忘れられないのは、NHKで放送した「番長皿屋敷」の青山播磨
です(スタジオ撮影の放送ですので、正確には舞台の思い出ではないのですが)
この役で、一枚、一枚、皿を割って行く演技が忘れられません。
全部の皿を割って
「もう無いか」と聞く台詞の虚無感が格別でした。
正直、この播磨と言う役は誰の役を見ても、なにもお菊を殺さなくても
と思うのですが、辰之助のこの役だけは納得出来ました。
自分を裏切った女は、喩えどんな理由が有ろうと許さない。
そんな暗い狂気を持った人物を演じられる役者でした。

同じ裏切った女を殺す役。
「盟三五大切」源五兵衛。孝夫・玉三郎と評判を取った役。
演舞場の再演で、小萬の首を懐に外へ出て、雨は上がったかと空に
目をやる。その暗い目が忘れられません。

344 :重要無名文化財:04/04/08 04:17
印象に残る役、市村羽左衛門=TVの丸橋忠弥、尾上辰之助=TVの
青山播磨ですかあ。佐々木盛綱や仁木弾正が出てこない(そもそも、
演じてないか)ところが「気の毒だなあ」。
尾上辰之助、元気は良く目も大きく綺麗だったけど、巧いなあと思った
ことはありません。松緑の め組辰五郎や毛剃九右衛門の 何時も子分
だったという印象。記憶が古すぎるかな。
皆様、もし今 辰之助丈が存命なら、どんな役を勤めていたと思います
か?

345 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/08 08:28
辰之助丈の「坂崎出羽守」良かったです。
自分に嘘がつけない不器用な男を好演していました。
役柄とご本人の控えめな芸風が合っていたのでしょうか。
男っぽく誠実な雰囲気のある方という印象でした。

346 :重要無名文化財:04/04/08 20:27
>344
義太夫物の主役を勤めては「吉右衛門に比べ肚が薄い」
世話物の主役を勤めては「思っていたほど華がない」
と書かれてたかもしれない。
踊りでは主役。芝居では菊五郎の脇に回り、一座を盛り上げていた
かもしれない。常に主役を演じる前に亡くなってしまったため、
どうしても主役の姿が浮かんでこないなあ。弁慶とかは覚えてる
けど......
実盛や盛綱を、果たして演じていただろうか。
菊五郎の立役は、幾つもが辰之助のものになっていただろうか。
私も興味があります。


347 :重要無名文化財:04/04/08 20:45
30代の辰之助、大好きでした。
が覚えてるのはやはりどれも主役じゃありません。
孝玉の四谷怪談での直助とか2番手で光っていたものばかりです。
だからどんな役なら芯を取っていたのか検討つかんのです。
やっぱり役者は長生きしなきゃいけませんね。

348 :重要無名文化財:04/04/08 21:38
辰之助の道行、初音だったか?なんかすごく真剣に
みた覚えがあります。大好きだったけどなぁ、残念です。

天竺徳兵衛、松緑の初演の方をみてます。辰之助も
やったとは知りませんでした。

あと梅幸の藤娘も当時は「藤ババ」だねなんていいながら
みたのですが、思い出すと恰幅がよいけど可憐でしたね。
玉三郎のでてくるだけで観客が息の呑むような美しさとは
また違った可愛らしさがありました。

349 :重要無名文化財:04/04/08 22:17
348さんと、芝居の同期生ですね。
辰之助の吉野山道行。記憶に自信がなくて書けなかった。
見てます見てます。目が凄く綺麗で大きかった。
となると、静は誰だったんだろ。逸見の藤太は誰だったん
だろ。何かの中幕だったような気がするなあ。

天竺徳兵衛も松緑で見てます(同じく辰之助見てない)。
吉岡宗観は仁左衛門でしたね。
南無聖天ハライソハライソ、水門で蝦蟇から引き抜いた時、
汗びっしょりでした。

梅幸の藤娘、お辞儀が可愛かったです。


350 :重要無名文化財:04/04/08 22:21
>348
松緑丈のプログラムへの言葉が
「昔は家に蝦蟇が居たけど、今はもう出ません。蝦蟇も公害には
かないません」だったように覚えてる。
公害の2文字が時代ですよね。

351 :GINZA:04/04/08 22:37
>>349 中幕は、め組の喧嘩<江戸座の劇中劇>であったとった思う<国立劇場

352 :GINZA:04/04/08 22:49
昭和46年の正月興行、静は当時の菊之助、藤太は出ていません。
焚出し喜三郎は羽左衛門江戸座喜太郎が先日亡くなった九朗右衛門。



353 :重要無名文化財:04/04/08 23:11
>351・352さん
我孫子屋お蔦じゃないけど 思い出した!
ありがとうございます。
九龍山が三津五郎、四ツ車は権十郎でしたっけ?

354 :173:04/04/08 23:33
横レス済みません。
さすがにGINZAさんはお詳しいですね。
古風な作りの忠信の写真を見た覚えが有るので、演じていたはずと思いましたが。
天竺徳兵衛は昭和61年1月の国立劇場ですよね。
玉三郎の八百屋お七が見たくて行きましたが、松緑の歌舞伎十八番「うわなり」
と言う珍しいものを見ました。
玉三郎の、後妻に嫉妬して鬼になる前妻が珍しかったです。

>>344
青山播磨だけが記憶に残っている訳ではないんですが(苦笑)
結構色々な主役を演じているのに皆さんの記憶には残っては
いないんですね。そんな所が芯になれない役者なんでしょうか。

355 :173:04/04/08 23:57
勉強家だったと思うんですよね。脚本なんかもしっかり読んでいるような気がします。
そのくせその努力を他に見せない、勉強家に思われたくないとの気取り見たいなものが
強かったような気がします。
南北の復活ものや、大正・昭和初期の新歌舞伎なんかが、そんな気風に有っていたと
思うのですが。
三世河内屋ふぁんさんの書いている「坂崎出羽守」は良かったし、「頼朝の死」の頼家や、
「元禄忠臣蔵」の富森助右衛門、羽倉斎宮、なんかも悪くはなかったと思います。
私見ですけれど、案外と2世左団次の系統が有っていたのではと思っています。
そんな意味で、この優と玉三郎で岡本綺堂の「尾上伊太八」を見たかったです。
一度は心中した相手ですら、現在邪魔になれば虫けらのように手に掛ける。
極悪非道な伊太八を感傷抜きに、カラリと骨太に演じて欲しかったです。

356 :GINZA/272他:04/04/09 00:12
>>354 恐縮です。 いつも的確なカキコ、ロムしておりましたが、先日173さんの
 弥作”の詳細お知らせで、私の存じているXXmamaさんと勘違いしておりました。
     <2ちゃんで 野暮なことと知りつつ 失礼致しました>
 辰之助は天王寺屋さんとの連獅子 AND 藤間勘右衛門としての端正な素踊りが印象深い。





357 :173:04/04/09 01:28
いえいえ。こちらこそ。
一人でベラベラとおしゃべりして冷や汗ものです(汗)

>辰之助は天王寺屋さんとの連獅子
見ています。見ています。
親子の連獅子も良いですけれど、このコンビのようにある程度以上
踊りの技量のそろった組合せも良いものと思います。

358 :羽三郎ファン:04/04/09 09:52
お気持ちはよく分かりますが、せめて5行ぐらいでおねがいいたします。

359 :重要無名文化財:04/04/09 11:10
5行と言わず、沢山聞かせてくださいね。
別に書き込む順番を待ってるわけでは ないんだから。
このスレを読んでいると、自分の意思で芝居を見続けてきた人の
熱意と蓄積を感じます。劇評、特に新聞の劇評家が失ったもので
す。
辰之助、珍しい演目も結構手がけてましたよね。旧新橋演舞場で
見た野晒吾助もコノ優ではなかったでしょうか。けど、どの役も
鮮烈な記憶がありません。玉三郎の方が、まだ覚えてる。中心に
居たのに印象が薄い。改めて辰之助丈のことを思い出し、不思議
だなあと考えています。




360 :173:04/04/09 12:41
>>358さん。すみません。確かに読む方の事を考える無いといけませんね。
ただ、このスレの性質上、良かった、上手かっただけでは、ご覧になっていない方に
は上手く伝わらないと思いますので、控えるようには致しますが、ある程度の
お目こぼしを御願い致します。

>>359さん。ありがとうございます。
野晒吾助は53年9月ですね。菊五郎劇団の若手の奮闘好演でした。
海老蔵(当時)の熊谷陣屋 菊五郎の身替座禅 がっぷり組んでの江戸の夕映え等
でした。辰之助は鏡獅子も踊っています。

珍しい演目>55年3月国立劇場の忍ぶの惣太もそうですよね。
相方の菊五郎の花子実ハ吉田松若が、再演、三演を重ねて、柄にも合って
当たり役の一つに数えても良い位なのに、初演の辰之助は忘れられがち。
運、不運て有りますね。

361 :重要無名文化財:04/04/09 14:36
>360
55年3月 忍ぶの惣太。覚えてます覚えてます。
権十郎の按摩・宵寝の丑市も良かったですねえ。
最後 おまんまの立ち回り、菊五郎「峰蔵、茶だ」に惣太から
変わった辰之助の峰蔵が土瓶を差し出して幕。
見たかった演目を遂に見た。嬉しかったです。
忘れてなんかいません。今でも、姿が蘇る。
私にとって、辰之助と言えばコレですね。


362 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/09 15:14
>>173さん、ご遠慮なさらず、どんどん書き込んで下さる事を
切にお願い申し上げます。
もちろん、他の皆さんの熱いレスも大歓迎です。

何といっても、歌舞伎はスパンの長い芸能ですから
運が悪いと一生見ることの出来ない芝居があったりします。
そんな時頼るは諸先輩方の思い出話だけです。
今後とも大いにカキコして、後発組の我々を羨ましがらせて
下さいますよう。

363 :272:04/04/09 19:41
359,362 御両所、良いこと言ってくれますね、わっしも嬉しくなっちゃう。
173 さんの言われる「スレの性質上、良かった、上手かっただけでは〜〜」ですよ。
 蝙蝠安じゃないけれど<俺がついてる しっかりやれ しっかり書け>ですよ。



364 :272:04/04/09 22:37
昭和の六名優とは一寸年齢も上で、小じんまりと一座を構え別格扱いの(客演の形も多かった)
2代目猿之助=猿翁のことは、どなたも触れておりませんでしたね。
私は修善寺物語の夜叉王<共演は寿海、時蔵、段四郎、団子、南京豆の荒次郎等々でしたか>
AND 黒塚"を即座に思い出すのですが、諸先輩のプラスの書込みをお願いしたいのですが。



365 :重要無名文化財:04/04/09 23:20
最晩年の招魂社見ましたよ。寿海とのコンビで。
立回り、肩で息してておかしいなと思ったらその後病床に。

段四郎と親子で二人三番叟。これはまだ元気な頃で
相似形なのに違いもあり面白かったです。
勧進帳や弁慶上使の弁慶、たしか靱猿の女大名なんてのも見てます。


366 :173:04/04/10 15:16
皆さん。ありがとうございます。
正直な事を言いますと、ここ数年昔程夢中にはなれなくなっていたのですが、
このスレのお陰で色々と思いだし、新たな観劇意欲が湧いてきました。
皆さんの為だけでなく、自分の為にもボチボチと思い出を語りたいと思います。

昭和55年3月国立劇場  都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)忍ぶの惣太
忍ぶの惣太・木の葉の峰蔵 辰之助 傾城花子実ハ吉田松若 菊五郎 
葛飾十右衛門 三津五郎(蓑助)按摩宵寝の丑市 権十郎 惣太女房お梶 先代門之助

序幕、長命寺堤の梅若殺し
辰之助は紫紺地に、流水に桜と都鳥の衣裳の男伊達の扮装なのですが、この優らしく、
15世羽左衛門の爽やかな男伊達(見た事は有りませんが)とは、少し違うと
感じさせました。
故主の為にお金が欲しい。そのお金を行きずりに介抱した子供(実は故主の息子)が
持っている。相手がお金を持っていると知っての
「はて、あるところにはあるものだなぁ」との述懐。良かったと思います。
とど、誤って梅若を殺してからお約束のだんまり。花子 丑市 十右衛門 と絡んで幕。
幕切 菊五郎の花子が花道を引っ込むのですが、この菊五郎が素敵に良かったと
思います。手ぬぐいを吹き流しの女郎のなりで上手から出て、三人と絡んで花道へ。
本舞台へ思い入れ有って傘を(丑市が持って出た)開き顔を隠すように引っ込み。
胸のすく幕切れでした。

367 :173:04/04/10 15:17


菊五郎の花子実ハ吉田松若は、この序幕の引っ込みといい、二幕目の惣太内での
惣太がメ○ラなのを良い事に丑市といちゃつくしたたかさ、終幕での丑市殺しの色気と
凄み、それでいて吉田の嫡男という高貴さを失わない。有る意味弁天小僧以上の
はまり役ではと思います。
再演(昭和57年10月歌舞伎座)の時に、丑市殺しの見栄に客席から
「かぁっこいい〜〜!」との声が上がったのもむべなるかなと思いました。

368 :272:04/04/11 01:44
>>365 黙阿弥の引退作(島ちどり)ですね、よろしかったでしょうね。 朗々とした寿海、同じく猿翁も高低の科白廻し 
 口跡も心持ちよく、両優とも二代目左団次系、綺堂の新歌舞伎に本領発揮でしょうか。
 猿翁の綺堂ものでは修禅寺の他、甲州街道、内藤新宿の没落の原因と繁栄を描いた“新宿夜話<ダメな弟を切腹に追い
 やらざるを得ない苦渋の武士 斎藤某の懐古、共演は段四郎>適役で数回演じた記憶、今でも受けるテーマと思いますが
 その後、十三代目松嶋屋、我当 親子コンビ以後 滅多に上演されませぬ。


369 :age:04/04/11 13:01
80代の方はじめ皆様、 X代目00丈に間に合ったのでしょうか? 私は初代播磨屋

370 :重要無名文化財:04/04/11 21:52
ワシは三代目家禄

371 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/11 22:31
>>370さん、三世中村歌六丈って
369さんが間に合った初代吉右衛門丈と勘三郎丈、
対照的な2人の役者の父親ですよね。
写真を見て、顔は中村屋に瓜二つなので驚いた記憶が。
芸風は、愛嬌たっぷり、それとも写実で厳格、
どちらだったのでしょう?
 

372 :重要無名文化財:04/04/12 00:07
三世中村歌六、大正8年(1919)没、享年71歳。
年表見たら、松井須磨子と同じ没年だった。
母の膝に抱かれて見てる人がいるかどうか。
記憶にあるかどうか。
ギリギリの存在ですね。

373 :GINZA:04/04/12 00:20
マジレスしてみます。 歌六は三階、物故俳優の始めの方に出ていませんでしたか、
大正10年頃亡くなっています。50回忌追善興行を勘三郎が主宰、その時、
中村屋が沼津の平作をひょうひょうと演じ感心しました。(十兵衛は先の幸四郎)
数年前、勘九郎も同じ汚れの爺さん役を、次の幕に可憐な藤娘に変身し又また感心しました。


374 :GINZA:04/04/12 00:52
レス書いている間、先を越されました。372さん大正八年没というと、観ている方は少なくとも
90才以上でしょうか、アンビリーバブル。マジ!

375 :重要無名文化財:04/04/12 00:57
私は先代の猿之助ですね・・。
歌右衛門の戸無瀬で本蔵を勤めた舞台が
印象に残っています。芸風が大きかった人でした。

376 :重要無名文化財:04/04/12 03:58
遅ればせのレスで申し訳ないのですが、
辰之助といえば、
私にとっては、イヤーゴ。
松緑のオセローより、玉三郎のデスデモーナより、
イヤーゴに尽きる『オセロ』でした。
いきいきとした動き、活け殺し自在の科白回し。
素晴らしかったです。
演技者としてすごい才能をもちながら、
それを歌舞伎に生かす方法を見つけられないうちに、
この世を去ってしまった。
そんな気がします。



377 :重要無名文化財:04/04/12 19:23
>>348です。349さん同じ時期に見ていたのですね、私は
前にも書いたのですが、スポンサーのバーちゃんが健在で
私もヒマだった学生のころの数年間が一番みていました。

考えると小屋の収容人数x興行日数の人数が生で接した
人なんですね。

GINZAさん、>>351の「めぐみの喧嘩」は若い衆の役で
当時の若手がゾロゾロでていませんでしたでしょうか?
なんかそれが見たくていったようなきがします。

378 :GINZA:04/04/12 23:32
筋書によりますと(当時の名で)鳶=菊之助、辰之助、簑助、菊蔵、半四郎、慶三、竹松、正之助。八十助、
  市蔵、亀蔵、等ーー−25名ほど
 角力取り=緑也、薪水、小伝次、銀之助、多賀蔵、金十郎、菊十郎、権一、佳緑、白蔵、三津三郎、等々


379 :重要無名文化財:04/04/13 00:40
>376さん
それって「松緑が途中病気休演だかで、権十郎が代役した。わけの
わからんまま勤めて、トニカク立派だった」という、あの有名な
オセローですか?御覧になっておられるのですか!
オセローもデスデモーナも、も少し詳しくお聞かせください。
もっと羨ましがらせてください。

380 :重要無名文化財:04/04/13 00:43
>378
見てるんだけど。
今となれば、角力取りの方が貴重ですね。
小伝次・多賀蔵・金十郎・白蔵......もっと一所懸命
瞼に収めておけば良かった。昭和46年!高校生でした。

381 :重要無名文化財:04/04/13 01:07
376です。
379さん、反応してくださってうれしいです。
ご要望に応えて大いに語りたいとこなんですが、
松緑と玉三郎に関してはめちゃくちゃ印象薄いんです。

玉三郎は、平幹とやったマクベス夫人の方が強く記憶に残っています。
夫けしかけておいてさっさと気が狂って、
ひとりあっち側に行っちゃう。その勝手ぶりに
マクベス夫人という女の本質がくっきり描き出されていました。

オセローの記者会見で、玉三郎に記者の関心が集中して、
松緑が主演に対し無礼だと激怒した、という事件がありましたから、
デスデモーナ玉さんは萎縮していたのかもしれません。
なんか地味でした。
むしろ印象に残っているのは、木の実ナナ。
たしかデスデモーナの侍女でイヤーゴの妻、という役。
手元に資料がないので間違ってたらごめんなさい。
辰之助&ナナのカップルのパワフルな演技で、
芝居がもってたという記憶があります。





382 :重要無名文化財:04/04/13 01:34
>376・381さん
早速の御返事を賜り、ありがとうございます。
そうだそうだ、松緑が激怒して「仮病か」と噂されたんですよね。
あのオセローを御覧になってる!一生の財産です。

歌舞伎役者の赤毛って、貴重で嬉しいものがありますね。
演劇界の写真で「ベニスの商人 ポーシャ 中村芝翫」
とあるのを見る度「一体どんなだったんだろ」何時も
思う私です。

379拝

383 :173:04/04/13 01:58
>>391さん。
オセロー 見たかったんですけれど見損ねました。羨ましいです。

玉三郎のマクベス夫人の感想ありがとうございます。
当時歌舞伎の女形がシェークスピアを演じると言うので評判になりましたよね。
私が歌舞伎に魅せられるきっかけになった公演です。歌舞伎も、女形も、なんの
知識もなかったのですが、世間の評判につられて見に行きました。
見てびっくりしました。とても男の俳優とは思えなかったからです。
もちろん、女優には見えませんでしたけれど、男とも思えませんでした。
特に終幕近く、自責の念から幻覚を見て狂乱のマクベス夫人。
自分の手が血まみれになっていると、必死に両の手をすり合わせ
「両手の血すら消えないわぁ」
と叫んで海老ぞりになる(当時は海老ぞりと言う言葉すら知りませんでした)
衝撃でした。こんなスゴイ演技術を持つ女形のいる歌舞伎ってどんなに
凄いんだろう。実際の歌舞伎を見てみたい。
そう思ったのが観劇のきっかけでした。

384 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/13 09:15
>>173さん、歌舞伎を観るようになったきっかけが
「マクベス」の玉三郎丈だったとは。これこそ運命の出会いですね。
他の皆さんの(運命の出会い)は誰の、どんな芝居でしたか?


385 :重要無名文化財:04/04/13 12:00
>384さん
忠臣蔵の猪。あのテケテンテケテンの太鼓に「芝居って面白い
なあ」と思いました。勘平は勘三郎だったのかなあ。死ぬまで
ヤタラ長くて閉口した。天川屋義兵衛(8世三津五郎)が荷物
の上で見得をする場面があり、これは面白かったです。
けど、ヤッパリ猪だな。
これが40年以上に亘る、私と芝居の最初の出会い。
当時、小学生でした。


386 :重要無名文化財:04/04/13 13:21
私は、昭和53年(でしたか)歌舞伎座、中村歌右衛門の
京鹿子娘道成寺。「間に合った」と思いました。
花道・舞台でのカドカドの見得にもゾクゾクした。
本興行で通して踊ったのは、これが最後だったのでは?
義太夫・長唄も結構なものでした。

387 :重要無名文化財:04/04/13 15:29
>385さん
確かに、忠臣蔵の通しの「夜の部」を見れば、最初に出てくるのは
イノシシだ。「昼の部」の大序から見たら、どんな印象を受けたで
しょう。「口上人形が面白かった」で、ヤッパリ歌舞伎が好きに
なってましたよね。

388 :173:04/04/13 21:26
>>386
歌舞伎座じゃ最後だね。
その後同じ年に中日劇場で踊ってる。
歌右衛門の道成寺は絶品。

389 :重要無名文化財:04/04/13 23:02
その歌舞伎座の道成寺、よくNHKで流れる物?

390 :重要無名文化財:04/04/13 23:11
>173/388さん そして皆様
@中日劇場ですか。御園座じゃないんですか。
舞踊公演でも、あったんですか?
A歌右衛門が通して道成寺を踊った最後は何時でしょうか?
「池袋サンシャイン劇場のこけら落としかな」と思っている
のですが..... 合ってるかどうか。

御存知でしたら、お教えください。

386拝


391 :173:04/04/13 23:38
>>389さん。
そうです。追悼番組でも放送しました。

>>390さん。
中日劇場のはチャンとした公演です。
詳しくは、今手元に資料がないのですが、昭和40年後半から50年前半に
かけて、毎年六月に歌右衛門が座頭の歌舞伎公演をやっていました。
Aはそのとおりです。

392 :重要無名文化財:04/04/13 23:44
>>390
以前は毎年のように中日劇場に歌右衛門が来てましたよ。

393 :173:04/04/14 01:12
三世河内屋ふぁんさん。
歌右衛門丈の歌舞伎座最後の道成寺は、弥作の鎌腹と同じ月の公演で、
延若さんも所化で出ていました。
花子との問答も丁寧で、おっとりした味わいが良かったと思います。
ただ、劇評にも書かれていますが、襲名でも追善でもないのに所化に出る。
そんな所に延若さんの置かれた損な立場が出ているんですね。

394 :重要無名文化財:04/04/14 08:55
>>173さん、え〜ッ、河内屋が所化で!?
それは知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。
たしかに、襲名でも追善でもないのにご馳走というか、
都合よく使われているというか(泣)・・・
でも、損な役でもけっして手を抜かず努力を惜しまない
延若丈の芸風だからこそ頼まれたのだと、良い方に解釈しておきます。

395 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/14 09:00
>>394 です。ハンドル忘れました。

396 :我童ひとすじ:04/04/14 09:32
中日では、健礼門院、隅田川、伊勢音頭、糒倉、道成寺・・・なつかしゅうございます。

397 :重要無名文化財:04/04/14 11:42
>391・392さん
ありがとうございます。御園座舞踊公演みたいなものだと
思ってました。あの宝塚や座長芝居の中日劇場で、大成駒
が毎年定期的に.....!驚きました。
390拝

398 :重要無名文化財:04/04/14 13:14
その道成寺、雀右衛門や芝翫も所化で出てませんでした?

399 :重要無名文化財:04/04/14 14:20
大幹部、中堅、若手と錚々たる顔ぶれ、雀、しかん、吉右衛門・・・・吉五郎も
高位置をキープしてましたし、なにしろ河内屋はトップでした。

400 :173:04/04/15 01:20
>>394
三世河内屋ふぁんさん。
熱いご贔屓ですね。延若さんも泉下で喜んでらっしゃるでしょう。

玉三郎さんに惹かれて観劇を始めたんですけれど、見始めて程なく玉三郎さんは
滅多に歌舞伎をやらなくなってしまって。
オセローはまだしも、椿姫なんてなると、無理しても見たいとは思えなかったですね。
もっとも、そのお陰でなんとか名優の尻尾を捕まえられたんですけれど。

ですから、玉三郎さんの舞台は歌舞伎以外の色々な公演を見ていますし、
玉三郎さんに陰のように付いていた弥五郎さんも、思い出深い役者さん
ですね。過去ログで誉められていて嬉しくなりました。
源氏店の籐八は何回も見たし(当然のごとくお富との息はぴったりでした)
文七元結の角海老の若い者、桜姫の山女衒、法界坊の番頭。
珍しい所では、滝の白糸の水芸の後見、貴妃酔酒の宦官。
柄は小さかったけれど、客を逸らさない楽しい役者さんだったと思います。

401 :重要無名文化財:04/04/17 09:12
皆様、はじめまして。
以前から拝見していましたが、ようやく私にも参加できそうな話題が出てきました。
松緑さん、玉三郎さんのオセロです。
といっても親に連れられていったので
松緑さんの足が悪くて、痛々しかったのくらいしか覚えていないんですが。

それから都鳥ですが、私も菊五郎さんの花子実は松若は最高の当り役だと思います。
あの方ほどあの役にぴったりな役者さんはなかなか出てこないでしょう。
けれども彼自身はお飯の立ち廻りで足にご飯がベタベタついたりするのが嫌いで
あんまりやりたくないと何かに書いていらっしゃいましたが、とても残念に思います。

402 :173:04/04/17 13:15
>>401さん。初めまして。
難しい問題ですね。贔屓の見たい役と、役者の演じたい役が必ずしも
同じではないんですよね。
それと役者の成長で演じなく役も有りますものね。
上記の玉三郎さんの他へ客演した役々なんかも、歌舞伎の立女形になった
今では二度と演じはしないでしょう。見て置いて良かったです。
皆さんのそんなお役、舞台を聞かせて頂きたいですね。
名優のものばかりでなく、今現在活躍している方の若い時のお役なんか
お聞きしたいです。

403 :重要無名文化財:04/04/20 09:40
芸術座閉館ですな。東宝の劇場だから歌舞伎とは縁が薄いけど、
染五郎・万之助兄弟が勉強会やったりしてるんですよね?
古い小屋がなくなるのって寂しいな。

404 :重要無名文化財:04/04/20 11:08
age

405 :重要無名文化財:04/04/20 11:49
芸術座閉館、感無量、一の宮あつ子、菊田一夫・・・兄弟勉強会、又五郎先生、、、涙。

406 :重要無名文化財:04/04/21 09:37
>401・402
其の人は居ても、あの役は見られない。確かに多いですね。
玉三郎の多種多様な客演を見ておられる方が羨ましいです。
見られないと言えば.....見たかった けど見られなかったのが、
歌右衛門の雪姫と時姫。八重垣姫は、昭和50年代にも何度か演じたのに
この2役は勤めなかった(ような気がする)。
何時が最後だったのか、演じなくなったのには「何か理由があった」のか。
御存知の方、お教えください。



407 :重要無名文化財:04/04/21 12:34
>>406さん。
はい、確かに雪姫、時姫は演じていませんね。
ざっと調べたのですけれど、
雪姫は昭和51年1月歌舞伎座
時姫は昭和45年4月歌舞伎座
が最後のようです。
演じなくなった訳は解りませんが、雪姫、時姫は壮年になってからは
あまり演じていないみたいです。
それ以前も昭和40年代は、雪姫を昭和41年10月帝国劇場の二代目
吉右衛門襲名公演に演じているだけのようです。
出典 演劇界増刊 女形六世中村歌右衛門

408 :173:04/04/21 12:38
↑名前を入れ忘れました。

この増刊号の年表によると、昭和40年代の歌右衛門丈の役々は、実に
充実しています。
ご覧になっている方はいらっしゃるでしょうか?

409 :重要無名文化財:04/04/22 14:27
>407さん
早々の御返事を頂き、ありがとうございます。
昭和51年の雪姫、見逃しちゃってます。口惜し〜い。これからも「桜と歌舞伎」的
特集に必ず登場する アノ写真を見ながら 口惜しい口惜しいと思い続けることで
しょう。
昭和40年代の歌右衛門、見てます見てます。
城門の上に現れた瞬間 香り立つようだった国姓爺の錦祥女、力が籠もって凄味が
あって 最後パッと素に戻り御挨拶した(これ素敵でした)日本振袖始の八岐大蛇。
この2役が 殊に印象に残ってます。
また、この頃は中村鴈治郎が元気で、よく歌右衛門の相手役を勤めてました。
千代萩で八汐、重の井子別れで竹村定之進、吉野川なら蘇我入鹿。
とにかくコクがあって、面白かった。鴈治郎が居るか居ないかで、舞台の厚みが
全く変わりました。
ほんと、あんな沢山「曾根崎心中」やる暇あったなら、もっと珍しい外題・面白
い役を見せて欲しかったですね。

406拝





410 :お懐かしや:04/04/23 00:15
ついさっきまで歌舞伎チャンネルで、「巷談宵宮雨」をやっていて、懐かしかった。
勘三郎の竜達。吉と芝翫の太十夫婦。子團次の薬売(これが泣ける)、早桶屋女房が源之助。
中村屋の面白さは生で見たことない人にはわかるまい。お気の毒に。
あの何倍も面白かったんですよ、実物は。

ところで、もう一つ懐かしかったのが、大向こう。
中でもひときわ大きくて威勢がいいのが、確か森さんとか言ったご老人。
白髪の角刈りで、夏は浴衣がけ、私のような若僧にはずいぶん親切にしてくれましたっけ。

で、今回再確認したのは、森さんは、本当にいい芝居のところで声をかけてますね。
役者がここぞという芝居をしているところでかけてますよ。
宵宮雨は新作世話物で、役者もいちいちきまらないから一見変なところでかけているようだけど、
はずしていない。本当にお眼鏡に叶ったところを褒めている感じ。
よっぽど好きだったんでしょうね、芝居が。
ほかの人もおしなべて上手ですね。あのころは。
思えば、成駒屋の芝居でも中村屋の芝居でも、森さん(だったかな)の大向こうがせりふとセットで
記憶されているような気がします。

以上「思い出に残る名舞台」の番外編でした。


411 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/23 09:58
>>410さん、「宵宮雨」自分も観ています。
勘三郎丈の特技?のひとつ、指先を器用に動かすところ、
この芝居でも、手の甲をボリボリ掻くしぐさとか。
テレビで見たら何てことはないんだろうけど、
生の舞台で大中村がやるとつい笑っちゃうんですよね。


412 :重要無名文化財:04/04/23 18:54
坂東吉弥についていろいろききたいです、合掌。

413 :カワサキヤ:04/04/24 01:23
410お懐かしや様
さすがの卓見です。大向こうの神様、森正次さんの声は、何といっても別格でした。
晩年は神楽坂の料亭「和光」の大旦那でしたが、お若い頃はペンキ職人もなさり、東京タワーの塗装にも頭の格で参加されています。
大正10年、歌舞伎座が漏電から焼失した日、森少年は親方から仕事を命ぜられ丁度、いまの三原橋の交差点へ自転車でさしかかると、
歌舞伎座が火事という状況。仕事道具を投げ出して、消防団と一緒に消火にあたったこともあったと、ご本人から伺いました。
NHKの放送でもCDでも森さんの声だけは、必ず舞台に届いているので、きちんと録音されています。また、劇場の案内嬢にも必ずお菓子や
心づけの品を(南座の顔見世でも)さりげなく渡しておられる姿も何度も拝見しました。歌舞伎のために生まれてきた方です。
神楽坂の「和光」もいまは看板が変わりました。TBSでしたかに、亡くなる直前に偶然番組のクルーが散歩している森さんの、あまりの粋な姿に
取材を申し込み、「和光」の座敷で見事な声を聞かせる場面のテープがあったのですが、直後に亡くなられたので、放送はされませんでした。
日経新聞の文化欄に一度ご本人の取材記事が大きく載ったこともあります。

414 :173:04/04/24 02:45
吉弥さんが亡くなったんですね。
まだそんな年齢ではないのに、歌舞伎界は、又、貴重な脇役を失ったんですね。
   ………… 合掌

吉弥さんについては、何か重宝に使われた役者さんてイメージが強いです。
歌舞伎座の大歌舞伎では軽い脇役ばかり(見ているはずなのにあまり印象に
残っていません)猿之助さんのスーパーカブキや、八月の納涼歌舞伎の脇。
若手の重しにはなっているんでしょうけれど、気の毒な配役も多かったです。
経歴にも拠るんでしょうけれど(若い時テレビに行っていた)時代ものの
敵役をやっても、義太夫味は薄かったと思います。
逆に、生世話物、新歌舞伎の役をやると、粘ついていたように感じられました。
そんな持ち味が合ったのか、近松の世話の役、曽根崎心中の九平次、
天網島の五左衛門なんかは良かったと思います。
舞台に対しての姿勢は真摯だった思います。どんな役も手は抜かない。
周りの層が薄くなって、やっと脇の大きなお役が回るようになって来ての
急逝って感じですね。残念です。

415 :重要無名文化財:04/04/25 17:53
>410
>子團次の薬売(これが泣ける)

本当に泣けますね。
歩き出し立ち止まっての
「あにいよ、おいらな〜」
でぼた餅のやり取りと全く違う悲痛な声音を聞かせ
「また寄せてもらいやす」
でさっきまでの調子に戻っての軽妙さ。
こういうのを上手い芝居と言うんだと思います。

416 :重要無名文化財:04/04/26 17:43
>>414 173さん
 訃報スレにあったたくさんの書き込みより、
吉弥さんを偲ぶにふさわしい文章でした。
私も、吉弥さんベストワンは、曽根崎の九平次。
ちょっとナマな感じがあの芝居の肌合いによくあってました。
一方、コクーン四谷怪談の宅悦、今の歌舞伎界では、
まだしもこの人なのだろうなとは思いつつも
どうにも違和感を感じてしまう科白廻しでした。
あのクセのある声が、近頃「味」に変じつつあっただけに残念。 

417 :重要無名文化財:04/04/26 19:44
>>416
訃報スレで非常識な事書いたのは藻前か

418 :重要無名文化財:04/04/26 21:29
>415
そういや、甘苦が竜達演る時に
この役なんか吉弥さんにぴったりだったかもね。

419 :173:04/04/26 23:39
>>416さん。
ありがとうございます。
吉弥さんの亡くなったのは残念ですけれど、こうして皆さんに追悼されているの
ですから、故人も持って瞑すべきではないでしょうか。
弟の弥十郎さんが、吉弥さんの味わいを継いでよく似ているので、吉弥さんの
役々(脇役では失礼かも知れませんが)を継いでくれるのではと思います。
思い出に蝙蝠安も入れようと思って配役を確認したら、弥十郎さんだったので、
チョットびっくりもしました。

420 :173:04/04/26 23:45
四谷怪談の宅悦。難しいお役ですよね。
今誰がって聞かれるとチョット浮かばないです。
もっとも、四谷怪談自体お岩様が出来る優が少ないので、歌右衛門丈、玉三郎さん
の2度しか見ていませんので、比較も歌右衛門丈の時の延若さん、玉三郎さんの時の
左団次さんの二人ですが、格段に延若さんの印象が強いです。

大成駒一世一代の四谷怪談 昭和54年10月歌舞伎座
お岩・小佛小平・小平女房お花 歌右衛門 伊右衛門 団十郎(当時海老蔵)
直助権兵衛 羽左衛門 佐藤与茂七 梅玉(当時福助)お袖 芝翫 
と言う配役の中での 按摩宅悦 延若 
本来ならば、伊右衛門も、直助権兵衛も、本役でやれる優なのでしょうから、
宅悦を絶賛される事は、延若さんには不本意かも知れませんが、この時の宅悦は
まだ歌舞伎を見始めて程ない私にも、素晴らしさの良く分かる好演だったと思います。

421 :173:04/04/26 23:49
按摩で地獄宿(私娼窟)の主で口入れ屋という南北特有の得体の知れない人物を
活写していたと思います。
浪宅の場で甲斐甲斐しく粥を炊いたり、赤子をあやしたりする仕草。
伊右衛門に、お岩に偽りの不義を仕掛けろと脅され
「引き受けまする。引き受けまする」と承知する具合。
お岩様に崩れた顔を、鏡を持たせて無理矢理見せつける姿の良さ。
毒薬で相好の崩れたお岩様の髪すきでの恐がり具合。

とど、お岩様が誤って刀で絶命して、鼠が赤子を銜えて走り去る。
下駄を引っ掴んで花道へ。伊右衛門と突き当たり
「どうした」と問われて、大きく前で腕を回して、下駄をカチンと言わせ
「大きな鼠がぼっちゃまを!」
と叫んで、そのまま下駄をカタカタと鳴らしながら、脱兎のごとく花道を入る。
あっけにとられる伊右衛門。

目に焼き付いています。

422 :重要無名文化財:04/04/27 09:03
>>173さん、大成駒の「四谷怪談」かぁ、観たかったです。
大幹部総出演のこの座組なら、河内屋の宅悦でも受け止められるでしょう。
延若丈は、律儀な役はもちろん一癖ある小悪党も妙にはまる人で。
ご本人も「そういう役好きなのよ」ってよく言ってましたし。





423 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/27 09:05
422です。またハンドル忘れました。

424 :重要無名文化財:04/04/27 09:45
大成駒の「四谷怪談」、たまたま所要あって楽屋の廊下を歩いて
ました。上半身をスカーフのような布で覆った人物とすれ違い...
これが出を前にした成駒屋さん。うつむき加減に歩いておられ、
顔は全く覗けなかった。そうそう、宅悦は延若でしたね。
ところで、吉弥さんと言えば 蝙蝠安が印象に残ります。
羽左衛門丈(だったと思う)の言葉に、髪結新三の大家・くわ
んぺら門兵衛など脇役の大役は脇師の目標とすべきで「安易に
御馳走で出るものではない」てえのがあります。これがずっと
気に掛かってまして...御馳走を否定したら歌舞伎はつまらな
い。かと言って何時も御馳走じゃあ、吉弥さん達の立つ瀬がない。
どんなものなんでしょう。特に「くわんぺら門兵衛=昔は大看板
は勤めなかった」というのは本当なんでしょうか?御存知の方
おられたら、お教えください。



425 :173:04/04/27 13:10
肝心の大成駒の感想はって聞かれそうですけれど、正直、私のレベルでは
感想程度でも書きづらいです。
あまりにも大きすぎると言うのも違う感じで、なにか表現のしようがないって
感じです。
このお岩様にしても、伊藤家への薬の礼を三度もしたとか、薬を飲みきるのに
10分掛かったとか言われていましたが、確かに、これでもかって押して来る
演技は丈だけの表現力で、他の役者が同じ事をやったら、くどいだけでしょう
けれど、それを感じさせない、疑問に思わせない、丈だけの舞台だったと思
ます。

初めて見た歌右衛門丈。
田舎源氏の二役。藤の方と東雲
お部屋様はともかく、東雲はとさかの馬の尻尾で格子の衣裳(本格の悪婆のなりは
これが最後のはず)
古寺の場などは、ただただスゴイものを見た。見てしまったって感想です。

426 :重要無名文化財:04/04/27 20:44
>>348です。173さんの書込みでおもいだしました。
歌右衛門のお岩さん、みましたわ、確か仕掛けも
評判になっていて、1等席のかなり前をとり、いったい
どのようになっているのか興味津々で観てました。

昔の劇場なら確かに怖い、でも歌舞伎座って結構明るいので
どろどろしてコワーというような感じといいうのは
なかったような気がします。現実が一番コワ!

私の芝居を見る動機って不純ですねぇ。

427 :銀座:04/04/29 17:55
当時、駆け出しの海老蔵を 大成駒が伊右衛門に大抜擢したとかの印象がありますね。
確か、お化けを描いた引き幕”を使っていたような記憶も〜。

428 :重要無名文化財:04/04/30 23:45
名場面で言うと、富雀、仁左玉、どちらでもいいが二人椀久の松山太夫の出。 満開の桜を後に松の大木の傍らで、椀屋久兵衛が寝そべっている所に、せり上がりから松山太夫。大好きです。

429 :重要無名文化財:04/05/08 19:32
ageときます

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