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【思い出】名舞台、名場面【記憶】

1 :重要無名文化財:04/03/10 20:32
今までに感動して心に残っている舞台語りましょう。

134 :重要無名文化財:04/03/17 11:07
>132 浅尾奥山=中村屋が上方から特に招いた由。シーラカンスみたいな
俳優が生きていたのかなあ。見た時は小柄はお爺さんで「そんな偉い珍し
い人」とは思わなかった。
その時の一寸徳兵衛は誰だっけえ。守田勘弥だったか片岡仁左衛門だった
か、これが覚えていません。演劇界の増刊「三代の名優」に義平次の写真
が載ってます。この「三代の名優」は面白いですよ。お持ちでなければ、
古書店で探してみることを、おすすめします。

135 :重要無名文化財:04/03/17 11:10
>>132
ぐぐったら「奥山をくわす」の人でした、スマソ。

136 :重要無名文化財:04/03/17 12:56
芝鶴・我童になんとか「封印切」のおえんの成太郎を入れていただけませんか?
もう年は隠しません、恥ずかしながら87歳です。残り少ない日にこんなすばらしい
語らいの場が在るとは思いませんでした。

137 :重要無名文化財:04/03/17 13:31
>>136
てことは、もしかして又五郎と同じくらい!?
素晴らしいです。もっといろいろ聞かせてください。

封印切のおえんの成太郎、そんなによかったんですね。
上方も江戸も、そういう役のできる人がどんどんいなくなって口惜しいことです。

138 :重要無名文化財:04/03/17 13:55
>136 「封印切」のおえん、いい役ですね。歌右衛門が勤めたのを
見たことがあります。さらりとして情味があり、それはそれは結構
なものでした。なにしろ、前幕ではヤマタノオロチだったんですよ。
昭和46年12月の国立劇場です。


139 :重要無名文化財:04/03/17 14:33
>130さん 羨ましがってたら、キリありません。例えば...法界坊。
私にとっては勘三郎に弥五郎の番頭だけど「え!吉右衛門と吉之丞
を見てないの?」と言われちゃう。その前だと「大橋屋の番頭は良
かったねえ」になるらしい。遠慮しないで、現代の名舞台もドンド
ン書き込みましょ。

140 :重要無名文化財:04/03/17 15:38
古けりゃいいと言うものではないですな。吉之丞はそれほどでもありません。弥五郎
のほうが数段上ですよ。あの方、結構芝居がさっぱりしていてうまいです。若いところでは
我童さんよかったですね。まあ成駒屋の嫉妬はすごかったですね。それくらい巧くて美しかった。
ちなみに私は83の老婆です。よろしくおねがいします。

141 :重要無名文化財:04/03/17 16:18
>140さん 弥五郎さん、好きでした。「吉之丞より上」と伺い、
とても嬉しい。桜姫の口上も良かったですよねえ。
もしや、大橋屋・尾上幸蔵も間に合ってますか?もし御覧になっ
ていたら、どんな舞台だったか お教えください。

142 :重要無名文化財:04/03/17 17:22
皆様、野暮を承知で思わずつぶやいちゃいますが、年齢マジですか〜。
観初めてまだ八年の小僧ッ子としちゃあこのスレ面白すぎです。
がんばって書き込んでください。

143 :重要無名文化財:04/03/17 18:02
古き良き上方芝居に興味津々。
もっといろいろ教えてください。

144 :重要無名文化財:04/03/17 18:14
>>133
「松任屋」最高!激笑った

145 :1:04/03/17 18:25
皆さん、とても読み応えあり想像以上の良スレとなりとても嬉しいです。ありがとうございます。

>>142
スレ立てた自分なんて、まだ三年半の初心者です。
評論家の方がよく言う昭和の六人、勘三郎、歌右衛門、團十郎、幸四郎、松緑、梅幸の
一人も観れず残念です。宗十郎、羽左衛門に何とか間に合ったくらいです。

歌右衛門の追悼番組で放送された、松緑との茨木を生で観た方いますか?
太刀持ちが今の延寿太夫、右源太が福助時代の梅玉でした。
映像で観た舞台であんなに迫力あり素晴らしいのは初めてでした。
生で観た感想をお聞きしたいのですが、お願いします。

146 :重要無名文化財:04/03/17 19:23
>145さん こちらこそありがと。茨木もちろん見てます。ただね、
記憶に残ってません。映像と生とでは、受ける印象が違うのかも
しれない。世評と自分の感性は必ずしも一致しない。だから面白い
のよ。

147 :111:04/03/17 20:39
愛之助は堀川で鳥辺山の稽古をつけるおっかさんの役、
若松会の油地獄のおっかさんは印象に残ってます。
孝夫の与兵衛が捕まるところまであって、手ぬぐいで
頬かむりをしてやる場面などいいものでした。

成太郎は孝夫初役の番町皿屋敷で叔母真弓をやっていて、
さすがにこの世代の中に入ると「叔母さまは苦手じゃ」
といわれるだけの威厳はありました。この時の(孝玉コンビ)
レコード持ってますよ。

團之助は合邦の女房や三婦の女房などを見ています。
なんだか手をひらひらさせる癖があったように思います。

148 :重要無名文化財:04/03/17 21:34
成太郎の真弓に「叔母様は苦手じゃ」・・・もう読んでいて
涙がこぼれてきました。111さん、ありがとうございます。
晩年は、もう身体を悪くして数々のお役は無理でした。

149 :111:04/03/17 22:26
>>148さん
私は東京在住で、まだ休暇をとるのが当然の権利ではなかった
昭和40年代から時々南座などへ遠征していたので、上方の役者も
見ることができました。
周りにはそんな話の通じる人が少なく、成太郎で涙してくださる
なんて嬉しいです。
顔見世でさえ当日売りで楽に買えました。

太郎も吉三郎も逝くのが早すぎましたね。近年では徳三郎も。(涙)

150 :三世河内屋ふぁん@5枚 ◆F3dsoI/kaU :04/03/17 22:57
古き良き上方歌舞伎には間に合いませんでしたが、
三世實川延若丈の舞台を生で観ることが出来た自分は、
本当に本当に幸せ者です。



151 :重要無名文化財:04/03/17 23:11
延若・我童の雁のたよりも見たなぁ。
「重ね井筒はえー あれは延若さんの紋所」
の下座唄と下駄の音を響かせながら、
「もう一遍回ってこ」「お玉は〜ん」
あの声が聞きたいです。

152 :重要無名文化財:04/03/17 23:19
上方でいけば、
二世延若/初世ガンジロ/三世梅玉とかを見た方、いらっしゃる?

153 :重要無名文化財:04/03/18 00:21
昭和50年頃、延若・歌右衛門を南座まで見物に出掛けたら、恐ろ
しい程の不入り。素晴らしい「吉野山道行」を前に、申し訳ない
という気持で一杯になりました。同じ頃、朝日座では芝カンと
義経千本桜の通し。3階から「おまちかね、さんだいめ、おお
かわちや〜」という声が掛かり...これには驚いた。入りはどう
あれ、何時も決して投げず、一所懸命演じてくれる優でした。
珍しい演目も多かったですね。確か「弥作の鎌腹」を見た覚え
があります。

154 :重要無名文化財:04/03/18 01:33
延若も我童も、何時も居るのが当たり前でした。居なくなって凄く
寂しい。今の基準で行けば、両優とも当然「人間国宝」として称え
られる人ではなかったか。両優に限らず、もっともっと評価されて
しかるべき人が大勢いたのではなかったか。不満を表面に出さず、
楽しい舞台を見せてくれた人が大勢いました。私も「済まない」と
いう気持で一杯です。観客が「済まない」と言ってもしゃあないけ
ど、そうとしか言いようがない。
ところで、珍しいと言えば、写真でしか知らないのが田沼意次暗殺
を題材にした「有職鎌倉山」。どなたか御覧になってませんか?



155 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/18 08:51
「柳影沢蛍火」、三役早替わりに本水の「怪談乳房榎」を
ご覧になった皆さまのご意見ご感想もぜひお聞かせ下さい。

あと、題名が思い出せないのですが、
乱戦にまぎれて恋敵の侍を暗殺したものの、
自分も盲目になって放浪し、姫にも見捨てられて
最後は自殺する役・・・確かありましたよね?

156 :重要無名文化財:04/03/18 10:29
恥ずかしながら、もう黙って見てられなくなりました。数えで九十になるものです。
皆様のお話、うれしゆうございます。見てるだけでたのしくなってきます。
私はもう冥土の飛脚ですが、これからもよい芝居を見て感想を寄せてください。
私は大成駒ひとすじでファンとしてはずっーと優越感にひたっておりましたが、
正直、我童丈を拝見したときは「この人はすごい」とあまりの綺麗さにほれぼれしました。

157 :西銀座:04/03/18 10:33
155さん、お久。 綺堂の室町御所です。
歌舞伎座で猿翁と 国立で河内屋2度観ています

158 :紫屋:04/03/18 12:14
はじめまして 
利根川金十郎さんの「紫十種」をお教えくださいませ
与市兵衛、番頭与九郎、花形屋、茶亭・・・・年のせいで物忘れがひどく
申し訳ありません。

159 :重要無名文化財:04/03/18 12:43
>154さん
1963年4月、歌舞伎座で有職鎌倉山は
見ているんですが殆ど記憶に…
今筋書を引っ張り出して、そういえばそんな場面も
という状態です。

11代目贔屓だったので、同時上演のお祭佐七や
夜の修学院物語、春雨傘などの印象に消されてしまった
ようです。

160 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/18 23:25
>>157
こちらこそご無沙汰しております。
なるほど、室町御所という題でしたか。
「演劇界」の劇評を読んで、あぁ観たかったなあと。
河内屋で2度ご覧になったということは、
やはりニンに合っていたからでしょうか。



161 :ハットリ君:04/03/18 23:35
ニンニン

162 :重要無名文化財:04/03/21 19:28
今月の新口村もいいけど、平成元年歌舞伎座、
孝夫、雀右衛門、大松島での舞台も忘れられない。
筋書によると、大松島が休んで我當に代わったみたいだけど、
漏れが行った時はまだ大松島がやっていた。
大きくて暖かい、そして悲しい孫右衛門だった。
あれを観ていなかったら、ここまで歌舞伎にのめり込んでいたかどうか。
やはり、忠兵衛と孫右衛門は別々の方が好きだ。

163 :重要無名文化財:04/03/21 23:22
>162
平成元年10月興行
6日に花道から転落、この日は勤めきり翌日から休演。
この年旧南座おしまいの顔見世には菊畑の鬼一で復帰。
羽田監督の映画に詳しく残っているのが幸いです。

164 :162:04/03/22 01:17
大松島の出演、6日までだったんですか!? 観られたのは運がよかったなあ。
花道から転落とは、やはり相当視力が衰えていたんですね。

165 :重要無名文化財:04/03/22 20:37
年配の皆さん、このスレ見つけられた?

166 :重要無名文化財:04/03/22 22:18
この間亡くなった吉三郎、新口村のおかくの出に大向こうが「弥太さん!」だって。

167 :重要無名文化財:04/03/22 22:20
私、たかが半世紀しか生きておりませんハナたれ小僧です。

覚えておりますのは、幸四郎(えーと白鴎?、今の幸四郎の
お父様です)の「熊谷陣屋」です。テレビの録画がはいっていた
せいか大熱演でした。芝居で泣いたのは後にも先にもこれだけ。

ほとんどの方がすすり泣いていたような気がします。

168 :重要無名文化財:04/03/22 22:53
>>167
先代の幸四郎は時代物は良かった。
熊谷だけでなく、勧進帳の冨樫も印象深いですね。
それが、今はコーラ嫌!とか叩かれて・・。
黄金の日々でまだ小さかった染五郎(当時は錦之助だっけ?)を
抱っこして最終回に登場したのも覚えています。いいおじいちゃん
ぶりで、ほほえましかった。

169 :重要無名文化財:04/03/22 22:59
そんな幸四郎(先代)も白鸚を襲名したときは
もう体が持たなかったんでしょう、昔の大きな役者ぶりが
すっかり抜けてしまい、素の順次郎さんという感じでした。
そのときの「井伊大老」で、歌右衛門と膳を前に回顧する
場面がありましたが、本当の夫婦のようで味わい深かった
です。何十年も寝かせたスコッチのようでした。
十数年後、息子の吉右衛門が井伊大老を演じましたが、歌右衛門
が付き合い、あ、成駒屋、これがもしかして最後の舞台じゃ・・。
などと妙な胸騒ぎが起こりました。奇妙なもので、本当にそれが
歌右衛門の最後の本公演になってしまいました。

170 :重要無名文化財:04/03/22 23:01
白鸚さんがなくなったときの幸四郎の六法見たかった。

171 :重要無名文化財:04/03/22 23:43
白鸚さんが亡くなったとき、幸四郎さんは大阪の襲名興行にでていました。
毎日、終演後に東京に帰り、毎朝東京から大阪に行ったと思います。その
芝居では、勧進帳よりも、吹雪峠のほうが面白かったと思います.

172 :重要無名文化財:04/03/22 23:52
白鸚襲名と銘打ったのは歌舞伎座の興行だけだったの?

173 :重要無名文化財:04/03/22 23:53
>>168
金太郎ちゃんでつ。
染五郎は比較的初舞台が遅かったですよね。
春雨傘でお祖父ちゃんの先代に付いて出た初舞台。
しっかりしてましたよ。

先代の幸四郎
私が見始めた時も、もう、晩年(なんて言ったら怒られますかね)近くでしたが、
なんとか由良之助、元禄忠臣蔵の大石内蔵助、関兵衛、新薄雪の伊賀守、
なんてのを見られて幸せでしたね。
そうそう、籠釣瓶の治郎左右衛門
良かったですよ。

174 :重要無名文化財:04/03/22 23:56
>>172
最後の舞台になってしまいましたね。
と言うより覚悟しての名跡譲りでしょうね。

175 :重要無名文化財:04/03/23 00:07
>>173
遅かったぞ由良之助にはならなかったんですね。
うらやましい。

176 :173:04/03/23 00:47
由良之助も悪くなかったですけれど、なんと言っても内蔵助ですねぇ。
今月当代がやってますけれど、とてもとても足下にもね。
特に国立劇場で半通しで『元禄忠臣蔵』をやって、
『江戸城の刃傷』『第二の使者』『最後の大評定』の場割りでしたか、
最後の幕切れ、赤穂城を後にして静かに花道に掛かり、
言葉も無く崩れ落ち、花道付け際に伏して声を殺して号泣する。
一瞬劇場が静まりかえって、アチコチで啜り泣きが聞こえました。
ああ、この人なら主君の仇を討つつて思いました。

177 :重要無名文化財:04/03/23 11:51
>173さん 良かったですね。関兵衛も伊賀守も、ず〜っと自慢できます。
新薄雪は歌右衛門・勘三郎と一緒の舞台を御覧になったのですか?
私は時代物が好きでした。寺子屋、熊谷陣屋、妹背山の大判事そして漁師
鱶七、かどかどの見得が立派で声が良く、真面目な愛嬌があり、夢中で見
ていました。見逃したのが、逆櫓の松右衛門。どんなだったんでしょうね
え。早く亡くなったのは残念ですが、おかげで古色が滲むような、勘三郎
の時代物の様々を楽しむことが出来たとも言えます。


178 :173:04/03/23 23:17
はい。昭和54年四月の舞台です。
主な配役は 幸四郎 幸崎伊賀守 勘三郎 園部兵衛 歌右衛門 梅の方
雀右衛門 薄雪姫 扇雀(当時)左衛門 芝翫 腰元籬&松ヶ枝 延若 妻平
仁左衛門 秋月大膳&葛城民部 
当時の大顔合わせでした。
ところがジンクス通り(新薄雪は薄の文字通り客の入りが薄い)
客の入りは悪かったです。
一等はまだしも、三階なんか平日のせいか2、3列しか埋まって
ませんでした。
今、よそのスレで入りが悪いとか書かれていますが、当時(52〜56年頃)
を思えばよく入っているなってのが感想ですね。
当時全盛の玉三郎が染五郎(当時)と大河ドラマの芝居(黄金の日々)を
やっても7分の入りだったそうで、歌舞伎座受難の頃でしたね。

芝居の感想ですが、やっぱりなんと言っても幸四郎の伊賀守ですね。
勘三郎との芸風の違いが如実で面白かったです。
一口に言えば、勘三郎は事態打開の為に色々工作しようとする
人物に見えるのに対して、伊賀守はこの場のうちから、何か有ったら
自分が腹を切って事を納めようと決心しているように見えました。
ふたりの仁の違いがはっきり見えて感心したものです。

179 :重要無名文化財:04/03/24 03:42
>178さん そうですか。あの新薄雪を御覧になってますか。昭和歌舞伎の
頂点と言われた舞台ですね。しかし、入りは酷かった。2階もガラガラで
した。今思えばナント勿体ないだけど.... 本当です。
昭和53年の正月興行だったかな、正月の3日に思い立って九段目を見物に
出掛けました。3階の一番前が買えた。
戸無瀬 歌右衛門、加古川本蔵 幸四郎、由良之助 勘三郎、お石 芝翫、
力弥 延若、小浪 雀右衛門。この座組だったと記憶してます。夜の部は
一条大蔵、勘三郎が熱演してるのに空いてた。
なんであんなに、お客が来なかったのか。今考えても、不思議でなりませ
ん。ともあれ、あの最高の時代を御覧になっているとは.... おめでとう
ざいます。


180 :重要無名文化財:04/03/24 04:05
笑也タンの弁天小僧でつ(*^_^*)

181 :重要無名文化財:04/03/24 15:26
四世井上八千代の長刀八島「西行法師の嘆けとて 月やはものを思はする」。


182 :重要無名文化財:04/03/24 16:07
「たそがれの虹」の滝見すが子、いい味だった。新喜劇は酒井光子と鶴蝶と
やはり滝見すが子。もっと認められても良かった人だった。合掌

183 :重要無名文化財:04/03/24 18:04
こんなところで新喜劇の女優陣を語られているとは・・・これは益々名スレです。

184 :重要無名文化財:04/03/24 19:52
>>165
サーバ移転してからまだ来てないね。

185 :重要無名文化財:04/03/24 20:55
>182&183さん 私は酒井光子の花魁道中(確か紺屋高尾)を見てます。
石河薫も見てます。新国劇の久松喜世子まで見てます。それでいて、
未だ40代。全ては親のおかげですね。新国劇では千葉蝶三朗が好きで
した。  179拝

186 :重要無名文化財:04/03/24 20:56
185訂正 新国劇では→新喜劇では

179拝

187 :173:04/03/25 12:40
>>179さん。ありがとうございます。
本当に素晴らしい時代だったと思います。
まだあの頃は若くて(w歌舞伎好きなんて言うと周りに、変わったものが好きなんて
目で見られていましたが、構わず夢中で歌舞伎座に通いました。
評判の高いものは一等を奢り、気に入ったものは3階にで見直しました。
休みが平日の為、結構良い席が取れたのも幸運でした。
見ておいて本当に良かったと思います。
幸四郎だけでなく 歌右衛門 梅幸 松緑 勘三郎 鴈治郎 仁左衛門 etc.
昭和の名優の尻尾をやっと捕まえたって気持ちです。

幸四郎の関兵衛
「ときに太夫さん。こなさんのお名はえ?」
「墨染といいやんす」これが、又、歌右衛門独特でした。
「なに、墨染 ふぅ〜む、この桜も元は墨染」
キッ!と舞台中央の桜の立木に思い入れ。パッと気を変えて
「ええお名でごんす」
こう書くと長いようですけれど、実に良い間でパッパッと変わるんです。
今でも舞台が目に浮かび、声音が甦ります。

なにか色々と当時の舞台の思い出を語りたくなって来ましたが、一人が長々と
語るのもご迷惑でしょうか?
皆さんのお許しが有れば語りたいのですが。

188 :重要無名文化財:04/03/25 14:01
>173さん
ぜひぜひお願いします。
ひよっこなので、みなさんのお話きいてるだけで楽しいです。
いろいろ教えてください。

189 :重要無名文化財:04/03/25 14:51
173さん
いいなあ、目に浮かぶよう

190 :重要無名文化財:04/03/25 18:38
173さん、うらやましいですぅ!私は、亡くなった吉十郎さんと染升さんの大ファンでした。

191 :50代:04/03/25 20:17
私も、高麗屋の各役観ていまして↑お墓参りも〜略、懐かしく読ませて頂きました。
ところで、踊りの神様7大和屋 晩年の 歯抜けの科白回し、覚えておられる方?


192 :重要無名文化財:04/03/25 20:24
>173賛江 伺えるのを楽しみにしてます。あの頃の方が、演目も
豊富だったよね。幸四郎・歌右衛門・勘三郎による「箱根霊験○
仇討」、勘三郎の清正誠忠録、鴈治郎の大安寺堤、仁左衛門による
ちょいのせの善六。勘三郎なんて、剣菱呑助から八剣勘解由から
(記憶が間違ってなければ)伊吹藤太まで見たような覚えがある。
皆様「生きてる内に沢山残しておこう」と思ってくださったんです
かねえ。なのに入りは酷かった。今思っても、不思議で残念でなり
ません。179与利


193 :重要無名文化財:04/03/25 21:02
>>192
までいくと嘘臭い年寄りだな

194 :173:04/03/25 21:46
嘘なんかじゃ有りませんよ。
勘三郎の役々は私も見ています。
確か剣菱呑助は幸四郎の石切梶原に付き合ったものだし、八剣勘解由は
歌六襲名の大蔵卿に付き合って、伊吹藤太は団十郎(仁左衛門だったか?)
の盛綱に付き合ったんです。
勘三郎は若手を可愛がって良く端役も厭わず出演していました。
役者の鏡ですよ。

195 :重要無名文化財:04/03/25 21:48
>192
嘘じゃないと思う。高校生から見てれば十分射程距離。たぶん
40代じゃないかな。わたしは50代だけど「小学校から歌舞伎座
行ってる」友人がいて...この人には適いません。何の話になっ
ても「え?見てないの」。口惜しいけど仕方ありません。落語の
地獄八景じゃないけど、あの世の芝居小屋を楽しみにしてる。
昭和歌舞伎の思い出に加え、20代・30代の皆様が「近年の名
舞台について、もっと書き込まれん」ことを!


196 :191:04/03/25 21:51
そりゃあ真実、わっしも観ているよ

197 :173:04/03/25 21:53
>>195さん。ありがとうございます。
ドンピシャと言いたいところですけれど、>>192さんのあげたのは
そんな昔の話では有りませんよ。
みんな昭五十年代の公演です。
夢中で通っていた頃の夢の舞台です(トオイメ)


198 :重要無名文化財:04/03/25 22:34
>>193
が嘘臭いと書いたのは
○○賛江
××与利
ってところじゃないの?
漏れもわざとらしいと思ったが

199 :重要無名文化財:04/03/25 22:39
私が見始めた頃は貧乏で、3階席と筋書買うのがせいぜいで、
とてもブロマイドは買えませんでした。
その後古書店などで集めるようになり、昨日も10枚ほど購入
したのですが、1枚役名の判らないものがあります。
次のヒントで、どなたか判ったら教えてください。

海老さま、黒襟の掛かった権太よりは細かい格子の衣装、
博多帯、与三郎風の頬かむり、二本差し。
右からの横顔があんまり良くて買ってしまいました。

昨日の収穫は、海老蔵の大森彦七、海老蔵・芝翫の桜丸夫婦、
芝翫の三代吉、幸四郎の源蔵等々。
セピア色だからというだけでなく、今の役者とは全然雰囲気が
違いますよね。
今劇場で売られている舞台写真のなんと味気ないことか。

200 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/25 23:19
>>192さん、ご安心を。自分も同期です。
昭和55年の歌舞伎座、雁治郎丈の「大安寺堤」よく覚えてます。
勘九郎丈が弟の役、河内屋が宇田右衛門でした。
古風な味わいの芝居で、不思議な面白さがありました。
ちなみに観劇歴は高校生の頃からです。



201 :重要無名文化財:04/03/25 23:53
>>195
この雰囲気で20・30代は書き込まないよ。

202 :重要無名文化財:04/03/26 00:13
>>200さん、私も見てますよ。
延若さんは私に初めて上方の芸風を意識させてくれた役者です。
それが歌舞伎座での襲名の忠兵衛でした。
花道の出なども独特な味がありました。
舞踊では扇の扱いが鮮やかで、とても美しかったです。
晩年南座で見た保名も心に残っています。

203 :173:04/03/26 01:10
>>198さん。
ああ、そうなんですか。
過剰反応したみたいで申し訳ないです。
ただ、そんな勘ぐらずに、ついはしゃぎたくなったと理解して下さい。
私だって、今まで誰に話せなかった事がこうやって思い切り話せて、
しかも理解してくれる人がいるっていうので、少々舞い上がっています(w

舞台の想い出ですが、名前が出たので勘三郎にでもしますか。
私は勘三郎は時代物より、世話物・舞踊のほうがイメージが強いです。
歌右衛門との一本刀土俵入 文七元結 夏祭浪花鑑 髪結新三 枚挙に暇がないです。
特に強く印象に残っているのが、玉三郎をお仲に抜擢しての刺青奇偶の半太郎です。

序幕 橋食いに頬杖を付いて対岸の江戸の灯を見ている姿。
何とも言えず良かったです。
決して凶悪犯罪をやった訳では無く、ほんのちょっとの手慰みが祟って
生まれた江戸を追われた男の哀しみが、大げさでなく、
軽い後悔の気持ちを持って表現されていました。

玉三郎も良かったです。
序幕の捨て鉢な女から、後半、半太郎一途の女。
何の矛盾もなく一貫した女でした。
勘三郎とのやり取りも息があってとても良かったです。
勘三郎がこの才能有る若手女形を評価して、慈しんでいる事のよく解る
舞台でした。

この半太郎が勘九郎に受け継がれているのは嬉しい事です。


204 :重要無名文化財:04/03/26 02:48
>194
勘三郎が八剣勘解由を勤めた月は、同時に梅枝→時蔵の襲名もあったんじゃ
なかったっけ。記憶が間違ってなければ、時蔵のお三輪に勘三郎が「豆腐買
おむら」。ところが私が見た日は休演で延若が代わった。「中村屋が勤めま
すべきところ、私が代役で云々」と挨拶の後、花道から「萬屋さん、しっか
りおやり」。これは此で良いものを見ました。歌右衛門のお三輪の時、勘三
郎は「もうし、な〜りこまや」でしたね。時蔵相手にドンナ風に語りかけた
んだろ。覚えてる方いますかあ?ほんと、勘三郎はエッと驚くような役に出
て観客を喜ばせてくれました。「つきあう」現在の歌舞伎に最も欠けている
ことです。
欠けているといえば、浮かれ坊主の最後...昨秋の菊五郎は2本足で蛙が乗り
出すみたいな形で幕になったでしょ。けど、勘三郎は1本足できっちり立って
いた。あれ、凄いことしてたんですよ。

179


205 :重要無名文化財:04/03/26 08:51
ものすごく場違いだったらごめんなさい。
ここでは青二才と呼ばれるそうな年のものです。歌舞伎歴もまだ3年くらい
でお恥ずかしい限りですが。
実は若手の中で勘太郎さんが好きなのですが、勘太郎さんが子供(10歳くらい?)の
時に歌舞伎座で供奴を踊ったのがすごかったという話を聞いたのです。
こちらでしたらきっとご覧になったかたが居られるのではないかと思いまして。
たかだか10年ちょっと前のことで恐縮ですが私にとっては「伝説の舞台」
なのです。
勝手にいまのケンスケみたいな感じかなぁと(小太りだったらしいし)想像しているのですが・・。

206 :重要無名文化財:04/03/26 09:21
>205
衣装が脱げちゃったけど動じないで踊ったってやつだっけ? あれそれは弟だっけ?
私も青二才。このスレは面白いけどなかなか敷居が高い。

207 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/03/26 09:28
>>202さん、うらやましい限りです。
延若丈の襲名の「封印切」、観たかったー!
南座の「保名」、流れるような動きの美しさに感動。
舞踊では「操三番」なども絶品でしたね。

>>204さん、萬屋襲名興行の豆腐買いおむら、
自分も河内屋の代演の日でした。勘三郎丈には申し訳ないと思いつつ、
ちょっと得した気分になりました。


208 :重要無名文化財:04/03/26 09:51
>>206
青二才同士よろしく(w
なんか「後世畏るべし」といわれたという批評を目にしたことがあって。
これってもちろん誉めコトバですよね。服が脱げたかどうかは知りません。
そいつぁ見たかった(w
ベテランのみなさまよろしくご教示くださいませ。

209 :重要無名文化財:04/03/26 16:34
>203 
勘三郎の世話物、良かったですねえ。中でも、歌右衛門との
一本刀土俵入が目に残ります。ただ2人の男女が会話するだけで
「此れ程の感動を人に与えられるものか」私は驚嘆しました。
時代物ももちろん素晴らしかった。逆櫓の松右衛門の台詞回し、
佐々木盛綱の腹芸、一条大蔵の多彩な見得。
そうそう佐倉宗五郎も忘れちゃいけません。地蔵に祈る箇所で
は冬の寒さが伝わってくる。舟に乗る時「この人、水の上に居る
んだ」と分かる。妻子と一緒の大芝居など、中村屋でなきゃ絵に
なりません。そうだ、筆幸も法界坊も.....キリがないよねえ。
女暫の舞台番なんて、不思議な役も結構でした。松緑につきあった
真柴久吉も「時代をワープして現れた」ような気がした。ただただ、
感謝であります。
ところが、この勘三郎という人。私達が夢中で見ていた頃に
「素晴らしくなった」「人格者になっちゃった」らしい。
その前は手を抜いたり、いい加減な演技で、嫌う人も沢山いたら
しい。「勘三郎はセコで」と書き込まれた方がおられるでしょ。
たぶん本当だと思います。前時代の香を伝える演技を披露し、若手
にも気軽につきあった、晩年の立派な中村勘三郎。
その前の、セコと言われた時代の勘三郎を御覧になってる方のお話
も伺いたいと思います。宜しくお願い申し上げます。


210 :重要無名文化財:04/03/26 16:35
河内屋の楼門に、最晩年の鴈治郎が久吉で付き合う。夜は万野だったが、とても勤めることが
できなく5日目から休演。なんとか久吉は勤める。
歌舞伎一筋できましたが、新喜劇なら「どんぐりころころ」の千葉蝶、新派は「京舞」の
成田菊雄、東宝は「三婆」の一の宮あつこ、新国劇「一本刀」の岡泰正の老船頭、「国定」の
「瞼の母」の初瀬乙羽のおとら・・・一期一会の名舞台でした。

211 :重要無名文化財:04/03/26 16:51
89歳の老婆でございます。内の孫が勘三郎は名人だの、芝居の神様だのよく私に
言ってますが、わたしにいわせれば、あんなセコはみたことがないとおもってしまいます。
209様のおっしゃることがすこしばかり当たってる気がします。寺子屋の松王をみても大蔵を
みても、あの程度の理解力と芸なら、わたしでも1週間あればやってみせてあげるよ!
といってやりました。孫は、馬鹿にしたような顔で私を見ていました。
まああくまでも主観で、私の見方がヘンといえば、そういうことだと思います。失礼しました

212 :重要無名文化財:04/03/26 17:01
うちの祖母は、今の吉右衛門やカンクが好きで「吉右衛門は、うまいわねぇ」なんて
よくいいますが、中村屋の話になるとカンクはべた褒めするくせに勘三郎のことは
「あんなもの・・・」あんなもの扱いです。そんなに大根だったのか信じられません。

213 :重要無名文化財:04/03/26 18:13
>210
真柴久吉って、良い役ですねえ。「何が歌舞伎か」と聞かれれば、
あの山門ですよねえ。中村勘三郎、中村歌右衛門(役名は久吉女房
長浜御前)、片岡仁左衛門、中村芝翫と見てるのに、中村鴈治郎
だけ見逃しちゃってるんです。これが残念で残念で.....。

初瀬乙羽って、清水彰でしたっけの山形屋藤造が国定忠治に翻弄さ
れた後「おまえさん、男を下げなすったねえ」と言う人ですか?
見てます。中学生でした。
千葉蝶三朗も好きだった。こんな上手な人が居るのか と驚いた。
浪花の助六という芝居に床屋の亭主を勤めたのが印象に残ってます。
名演と言われる愚兄愚弟の金魚屋の高橋(でしたっけ)、これも見て
ないのが残念で残念で....。

ほんと、映画は何時でも見られるけど、芝居はそうはいかない。
観客たるもの、大変であります。


214 :重要無名文化財:04/03/26 19:05
>>212 勘三郎、 前名もしほ時代から〜東宝移籍失敗し大阪へ
この頃は確かに兄の播磨屋も サジを投げるほど大根だったらしいです、
昭25?襲名後から(昭29には兄も死に頭の上がすっきり)それこそ一歩ずつ頭角を。
時々舞台を投げていたと聴くが(私の観た限りでは幸いなことに皆無)、岳父譲りでしょうか。
市井の小悪党などは見ものでした。
あまり演じていなかったはずの 道玄を昭40頃 観たが巧かった、お兼は多賀さん,松蔵は勘弥。
六代目譲りの世話ものは松緑と2分していたのだが、音羽屋のは洗い上げが奇麗すぎた。新三も同様。



215 :重要無名文化財:04/03/26 19:10
勘三郎ですか?前に初代の幸四郎のことを書きこんだ者ですが
私も母に「うまいね」っていったら「あの人はうまいのを
鼻にかけているから」といわれました。確かにそういうとこ
がありましたね、「どうだうまいだろう!へん!」って
ただ出し物はわすれちゃったんですよ。

今の勘九郎にも多少そういう親の血が ry



216 :銀座の214:04/03/26 19:17
>>213 あの山門ですよねえ。中村勘三郎、中村歌右衛門(役名は久吉女房〜〜
もう立てない病後の松緑 最後の五右衛門に大幹部が付き合ったのでしたっけか?

217 :191:04/03/26 19:42
>>191   211のお姉様はじめ、長老各位  
踊りは云う迄もなく、踊り以外の七代目の三津五郎のご記憶はありませんでしょうか?


218 :重要無名文化財:04/03/26 20:39
>>206勘太ちゃん。着物が脱げちゃったのですか?

49年ころか50年ころか、三役交代の勧進帳をやった時のこと、
いつもはバーちゃんがスポンサーなので1等席で観ていたのですが
交代がみたくて一幕見に行きました。吉右衛門が弁慶のとき
袴が脱げそうになったのですよ。もう劇場中大騒ぎ。

後見か黒子だかが出てきてそっと直してましたがなにしろあの動き。
直すほうも必死、演ずるほうも必死、当人は何事も起きていないと
いう演じ方、終わったときはよかったという安堵の拍手でした。


219 :重要無名文化財:04/03/26 20:40
>216
そう、あの山門。本興行最後の3日間。
あと1人は尾上梅幸でしたね。
当時は「松緑の快気祝い」と聞いてたけど...。
中村歌右衛門の「巡礼に御報謝〜」が今も耳に残ります。
一幕見も溢れんばかり。
歴史に立ち会ったという思いがしました。


220 :191:04/03/26 20:53
>>191   211のお姉様はじめ、長老各位  
踊りは云う迄もなく、踊り以外の七代目の三津五郎のご記憶はありませんでしょうか?


221 :重要無名文化財:04/03/26 20:55
すんません、Wってしまった↑

222 :重要無名文化財:04/03/26 22:35
だれもカンタの供奴のことは教えてくれないのね。・゚・(ノД`)・゚・。 ウエーン!

223 :重要無名文化財:04/03/26 22:47
兄さんの方でつ 供奴で衣裳が脱げても動ぜず踊り抜いたのはーー小山三さん談

224 :173:04/03/26 23:59
確かに着物が脱げた事は有りました。
私は現場は見ていませんが>>223さんのおっしゃる通り、そんな大変な
ハプニングにも拘わらず、堂々と踊り抜いたそうです by演劇界
踊り自体は代々の血か、もの凄く勘が良く、ゴムマリの弾むような踊りでした。
花道を掛けだして来て、トンと足踏みをする間なんか実に達者でしたね。
ただ、あれを名優の演技と同列に論じて良いものかって事になると、
正直?でしたね。
少なくとも歌舞伎座でお金を取ってお客様に見せるものかと思います。
歌舞伎ではチョクチョク、御曹司がまだ小さい時に大人の役をさせて
お客の前に出しますけれど、これは本当に座組のおまけ、ご愛敬と言う
ものでしょう。
しかし、否定しきるものでもなく。
贔屓にするお客には、この優のこんなものを見た事が有ると言う良い
想い出にはなるのですから。

勘三郎に関しては賛否両論が有りますが、生身の人間のやる事、
それで良いのでは無いでしょうか。
特に癖の強い優では当然と思います。

例えば歌右衛門。
稀代名女形で有る事は間違い有りませんが、総てを肯定して良いか
どうかは、私は疑問に思っています。
玉藻前の通しを国立劇場でやった折りに「萩の方」を見ました。
確かに素晴らしい演技でしたが、幕切れ、桂姫の首を打った金藤次に
長刀で打ち掛かる。
自分の見せ場の為の演技で(本行にはない)正直、性根が違うと
思いました。萩の方は女武道では無いのですから。

225 :重要無名文化財:04/03/27 00:16
>>213さん、お若いのにお話があいますね。初瀬は山形屋女房おれんがいいです、もちろん
山形屋は郡司良。園芸商の高橋の千葉蝶三郎は絶品ですよ(愚兄愚弟、これ別名どんぐりころころ)
私は歌舞伎一筋で70年みてきましたが、あの千葉蝶の巧さはなかったです。もう絶品!
勘三郎丈に関しては、ある友人が「日本一下手くそ、勘違い野郎」と表現しましたが、
私はなんともいえません。

226 :重要無名文化財:04/03/27 00:17
>>191さん
私の歌舞伎初体験(当時小学生)で、三津五郎は
「四の切」の義経を演じていました。
それまではラジオで舞台中継を聞いていましたので、
特徴のある含み声で直ぐ分かりました。
おっとりとしていい御大将でした。
まもなく病魔に倒れたので、これが私にとっては
唯一のチャンスとなりました。

227 :重要無名文化財:04/03/27 00:21
まさにおっとりとしていい御大将でしたね。
勘三郎に関しては、どうしても好きになれませんでした。たぶん役者として血が
なかったのでしょう。

228 :191:04/03/27 01:15
   私も小学生でした、靭猿 矢の根 喜撰等々を観ていた記憶があります。
変わったところでは 赤垣源蔵徳利の別れ”みたいの演目の、源蔵の兄=科白回しが
フニャフニャでして、子供心にも奇異に感じたのを覚えています。

229 :重要無名文化財:04/03/27 14:24
勘三郎の評価が二分されてますねえ。
このような場がなければ、(評論家じゃない)お金払った一般人の話を
伺うことはなかったでしょう。もっと、聞かせてください。
私も書き込みます。

230 :重要無名文化財:04/03/27 18:32
中村屋の大ファンですが、仲間の女の子、弱冠25歳。この子の言うには「若手から尊敬され、芸に厳しく
根っからの芸あほだの、芸の神様だの言われている勘三郎の芸ほど見るに耐えないものがある。
まったく芝居の意味がわからないというか、よほど頭が悪いというか。もう舞台にでてくるだけで
勘三郎ひとりのおかげで、芝居がめちゃくちゃになってしまう」だそうだ。
芝居のことでほとんど気が合うんだけど、勘三郎に関しては、もう一歩も譲らない。

231 :重要無名文化財:04/03/27 18:43
>>230
それって主語を息子に変えても、まんま通じるな。

232 :重要無名文化財:04/03/27 20:45
230さん、中村屋死んで15年は経つので 25歳のその女の子は一桁代で、どの程度の舞台を観ての評価でつか?
私も決して中村屋まんせい”一辺倒ではないのだが、その彼女まさかVTR等だけでの評ではありますまい。
      <息子の間違えているとしか思えないのだが>
                                      

233 :重要無名文化財:04/03/27 20:48
訂正↑ <息子の勘九郎と”間違えているとしか思えないのだが>

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