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【思い出】名舞台、名場面【記憶】

1 :重要無名文化財:04/03/10 20:32
今までに感動して心に残っている舞台語りましょう。

330 :重要無名文化財:04/04/06 10:13
329につけたしです。
新三は新三でも今の演出ではなく、原本通りの方です。
今の演出だったら、鳶頭ではなく家主になるのでしょうね。
出番がまったく違いますから。

331 :重要無名文化財:04/04/06 13:44
「丸橋忠弥」の金十郎、新七、多賀蔵といい顔だったね。

332 :重要無名文化財:04/04/06 19:29
>>329,330 全く同意ですね。 >鳶頭ではなく二つ名のある落ちぶれた親分。

333 :重要無名文化財:04/04/06 20:25
若いころ羽左衛門をハザエモンと呼んでました、(汗)
なんか好々爺というイメージしか思い浮かびませんね。


334 :重要無名文化財:04/04/06 21:02
↑ 芸能レポーターの福岡某もそう読んで、私はがっかりしましたっけ。

335 :重要無名文化財:04/04/06 21:09
>>333
私なんか、ハザエモンとウザエモンの2人がいるもんだと思っていた時期が。

336 :重要無名文化財:04/04/06 22:35
ウザエモンは、15代の花の橘屋で終り。

あとは皆んなハザエモンだね。

337 :重要無名文化財:04/04/06 22:35
初代辰之助って、美男でしたよね。「対面」の五郎は
かっこよかった。助六を演じたことはありましたっけ?
並のとかラ・マンチャンとか、首をひねるような人が
演じている写真はあるのですが、昭和50年代で海老蔵
(当時)以外に演じた人の感想をぜひ。

338 :173:04/04/07 00:28
初代辰之助 この優も、また、忘れられない役者さんですね。
大病を克服して復帰した歌舞伎座のお祭りの鳶頭。スッキリといなせで、また、
爽やかな世話物を見せてくれると思ったのに、僅か4ヶ月で………
口跡が良く、踊りも良い。江戸前の二枚目でした。

踊りの会は知りませんが助六は演じてはいません。
50年代以降、海老蔵以外で演じた役者は
猿之助 松緑 幸四郎 仁左衛門(孝夫)平成に入って 菊五郎 三津五郎 です。
やはり助六ほどのお役になると演じる優も少ないです。

記憶に残っているのは、なんと言っても昭和58年3月歌舞伎座での
孝・玉初役の助六・揚巻です。
揚巻、助六の出の瞬間、待ち焦がれる観客のジワは場内を圧倒して
いました。

339 :重要無名文化財:04/04/07 14:01
皆様、羽左衛門について 沢山お教えくださりありがとうございました。
役者は長生きしなきゃ駄目、観客は早く生まれなきゃ駄目ですねえ。
けど、篤実・一所懸命が伝わってくる丈の舞台、私は好きでした。
私の芝居の師匠は「菊吉っていうけどね、幸四郎・勘三郎・松緑の方が上
の芝居も結構あるんだよ」とよく言います。
皆様の御話を伺い、更に羨ましくなってしまいました。

これからも書き込みます。どうぞまた お教えください。
ありがとうございました。

304拝


340 :重要無名文化財:04/04/07 23:41
>173さん
羽左衛門襲名の経緯、お教えくださり ありがとうございます。
市村吉五郎....思い出してます。記憶違いだったら、御指摘
ください。もしかして髪結新三で車力善八を演じてた人?
あの人、あの15世羽左衛門の養子だったんですかあ?!

辰之助、実は真剣に見てませんでした。
私「死んじゃう前に沢山見て、将来自慢してやろう」の了見で
年寄りの役者ばかり追いかけてたんです。だから、辰之助は視野
の内には居たんだけど、目は丈を向いていなかった。
まさか、自慢の対象になるとは 思いませんでした。


341 :GINZA:04/04/08 00:33
340さん。車力の善八を演じてました。そういう役どころでした。

 私が辰之助丈を最後に観たのは国立の天竺徳兵衛。科白は噛むは動きも
 しんどそうで、体調が悪いのかなと思っていましたら〜〜。

342 :GINZA:04/04/08 00:47
確か、あの十二世仁左衛門の子息が、我童、吉五郎(市村家へ)、芦燕、

343 :173:04/04/08 02:13
>>340さん。
GINZAさんのおっしゃるとおり12世仁左衛門の次男ですが、15世に
乞われて、昭和15年に市村家の養子になったそうです。
本人が「のぞんで養子になった訳じゃない。(養子になった当時)
ちっとも父(15世)につとめなかった」と言っているように、養子に
は入ったものの、15世はともかく奥さんとはあまり上手く行ってい
なかったそうです。
役者としても、とても羽左衛門を継げる器ではないでしょう。
劇評では、お公家さん役が良いなんて評価されていますが、
これはおざなりな誉め言葉でしょう。本人も嬉しくはないと思います。

辰之助
この人も海老蔵(当時)菊五郎の次に置かれた人でしたね。
菊五郎のように器用でもなく、団十郎のように役者ぶりで見せるでもなく、
損な役所だったと思います。
一見器用に見えて、実は凄く不器用な人だったとも思います。

辰之助で忘れられないのは、NHKで放送した「番長皿屋敷」の青山播磨
です(スタジオ撮影の放送ですので、正確には舞台の思い出ではないのですが)
この役で、一枚、一枚、皿を割って行く演技が忘れられません。
全部の皿を割って
「もう無いか」と聞く台詞の虚無感が格別でした。
正直、この播磨と言う役は誰の役を見ても、なにもお菊を殺さなくても
と思うのですが、辰之助のこの役だけは納得出来ました。
自分を裏切った女は、喩えどんな理由が有ろうと許さない。
そんな暗い狂気を持った人物を演じられる役者でした。

同じ裏切った女を殺す役。
「盟三五大切」源五兵衛。孝夫・玉三郎と評判を取った役。
演舞場の再演で、小萬の首を懐に外へ出て、雨は上がったかと空に
目をやる。その暗い目が忘れられません。

344 :重要無名文化財:04/04/08 04:17
印象に残る役、市村羽左衛門=TVの丸橋忠弥、尾上辰之助=TVの
青山播磨ですかあ。佐々木盛綱や仁木弾正が出てこない(そもそも、
演じてないか)ところが「気の毒だなあ」。
尾上辰之助、元気は良く目も大きく綺麗だったけど、巧いなあと思った
ことはありません。松緑の め組辰五郎や毛剃九右衛門の 何時も子分
だったという印象。記憶が古すぎるかな。
皆様、もし今 辰之助丈が存命なら、どんな役を勤めていたと思います
か?

345 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/08 08:28
辰之助丈の「坂崎出羽守」良かったです。
自分に嘘がつけない不器用な男を好演していました。
役柄とご本人の控えめな芸風が合っていたのでしょうか。
男っぽく誠実な雰囲気のある方という印象でした。

346 :重要無名文化財:04/04/08 20:27
>344
義太夫物の主役を勤めては「吉右衛門に比べ肚が薄い」
世話物の主役を勤めては「思っていたほど華がない」
と書かれてたかもしれない。
踊りでは主役。芝居では菊五郎の脇に回り、一座を盛り上げていた
かもしれない。常に主役を演じる前に亡くなってしまったため、
どうしても主役の姿が浮かんでこないなあ。弁慶とかは覚えてる
けど......
実盛や盛綱を、果たして演じていただろうか。
菊五郎の立役は、幾つもが辰之助のものになっていただろうか。
私も興味があります。


347 :重要無名文化財:04/04/08 20:45
30代の辰之助、大好きでした。
が覚えてるのはやはりどれも主役じゃありません。
孝玉の四谷怪談での直助とか2番手で光っていたものばかりです。
だからどんな役なら芯を取っていたのか検討つかんのです。
やっぱり役者は長生きしなきゃいけませんね。

348 :重要無名文化財:04/04/08 21:38
辰之助の道行、初音だったか?なんかすごく真剣に
みた覚えがあります。大好きだったけどなぁ、残念です。

天竺徳兵衛、松緑の初演の方をみてます。辰之助も
やったとは知りませんでした。

あと梅幸の藤娘も当時は「藤ババ」だねなんていいながら
みたのですが、思い出すと恰幅がよいけど可憐でしたね。
玉三郎のでてくるだけで観客が息の呑むような美しさとは
また違った可愛らしさがありました。

349 :重要無名文化財:04/04/08 22:17
348さんと、芝居の同期生ですね。
辰之助の吉野山道行。記憶に自信がなくて書けなかった。
見てます見てます。目が凄く綺麗で大きかった。
となると、静は誰だったんだろ。逸見の藤太は誰だったん
だろ。何かの中幕だったような気がするなあ。

天竺徳兵衛も松緑で見てます(同じく辰之助見てない)。
吉岡宗観は仁左衛門でしたね。
南無聖天ハライソハライソ、水門で蝦蟇から引き抜いた時、
汗びっしょりでした。

梅幸の藤娘、お辞儀が可愛かったです。


350 :重要無名文化財:04/04/08 22:21
>348
松緑丈のプログラムへの言葉が
「昔は家に蝦蟇が居たけど、今はもう出ません。蝦蟇も公害には
かないません」だったように覚えてる。
公害の2文字が時代ですよね。

351 :GINZA:04/04/08 22:37
>>349 中幕は、め組の喧嘩<江戸座の劇中劇>であったとった思う<国立劇場

352 :GINZA:04/04/08 22:49
昭和46年の正月興行、静は当時の菊之助、藤太は出ていません。
焚出し喜三郎は羽左衛門江戸座喜太郎が先日亡くなった九朗右衛門。



353 :重要無名文化財:04/04/08 23:11
>351・352さん
我孫子屋お蔦じゃないけど 思い出した!
ありがとうございます。
九龍山が三津五郎、四ツ車は権十郎でしたっけ?

354 :173:04/04/08 23:33
横レス済みません。
さすがにGINZAさんはお詳しいですね。
古風な作りの忠信の写真を見た覚えが有るので、演じていたはずと思いましたが。
天竺徳兵衛は昭和61年1月の国立劇場ですよね。
玉三郎の八百屋お七が見たくて行きましたが、松緑の歌舞伎十八番「うわなり」
と言う珍しいものを見ました。
玉三郎の、後妻に嫉妬して鬼になる前妻が珍しかったです。

>>344
青山播磨だけが記憶に残っている訳ではないんですが(苦笑)
結構色々な主役を演じているのに皆さんの記憶には残っては
いないんですね。そんな所が芯になれない役者なんでしょうか。

355 :173:04/04/08 23:57
勉強家だったと思うんですよね。脚本なんかもしっかり読んでいるような気がします。
そのくせその努力を他に見せない、勉強家に思われたくないとの気取り見たいなものが
強かったような気がします。
南北の復活ものや、大正・昭和初期の新歌舞伎なんかが、そんな気風に有っていたと
思うのですが。
三世河内屋ふぁんさんの書いている「坂崎出羽守」は良かったし、「頼朝の死」の頼家や、
「元禄忠臣蔵」の富森助右衛門、羽倉斎宮、なんかも悪くはなかったと思います。
私見ですけれど、案外と2世左団次の系統が有っていたのではと思っています。
そんな意味で、この優と玉三郎で岡本綺堂の「尾上伊太八」を見たかったです。
一度は心中した相手ですら、現在邪魔になれば虫けらのように手に掛ける。
極悪非道な伊太八を感傷抜きに、カラリと骨太に演じて欲しかったです。

356 :GINZA/272他:04/04/09 00:12
>>354 恐縮です。 いつも的確なカキコ、ロムしておりましたが、先日173さんの
 弥作”の詳細お知らせで、私の存じているXXmamaさんと勘違いしておりました。
     <2ちゃんで 野暮なことと知りつつ 失礼致しました>
 辰之助は天王寺屋さんとの連獅子 AND 藤間勘右衛門としての端正な素踊りが印象深い。





357 :173:04/04/09 01:28
いえいえ。こちらこそ。
一人でベラベラとおしゃべりして冷や汗ものです(汗)

>辰之助は天王寺屋さんとの連獅子
見ています。見ています。
親子の連獅子も良いですけれど、このコンビのようにある程度以上
踊りの技量のそろった組合せも良いものと思います。

358 :羽三郎ファン:04/04/09 09:52
お気持ちはよく分かりますが、せめて5行ぐらいでおねがいいたします。

359 :重要無名文化財:04/04/09 11:10
5行と言わず、沢山聞かせてくださいね。
別に書き込む順番を待ってるわけでは ないんだから。
このスレを読んでいると、自分の意思で芝居を見続けてきた人の
熱意と蓄積を感じます。劇評、特に新聞の劇評家が失ったもので
す。
辰之助、珍しい演目も結構手がけてましたよね。旧新橋演舞場で
見た野晒吾助もコノ優ではなかったでしょうか。けど、どの役も
鮮烈な記憶がありません。玉三郎の方が、まだ覚えてる。中心に
居たのに印象が薄い。改めて辰之助丈のことを思い出し、不思議
だなあと考えています。




360 :173:04/04/09 12:41
>>358さん。すみません。確かに読む方の事を考える無いといけませんね。
ただ、このスレの性質上、良かった、上手かっただけでは、ご覧になっていない方に
は上手く伝わらないと思いますので、控えるようには致しますが、ある程度の
お目こぼしを御願い致します。

>>359さん。ありがとうございます。
野晒吾助は53年9月ですね。菊五郎劇団の若手の奮闘好演でした。
海老蔵(当時)の熊谷陣屋 菊五郎の身替座禅 がっぷり組んでの江戸の夕映え等
でした。辰之助は鏡獅子も踊っています。

珍しい演目>55年3月国立劇場の忍ぶの惣太もそうですよね。
相方の菊五郎の花子実ハ吉田松若が、再演、三演を重ねて、柄にも合って
当たり役の一つに数えても良い位なのに、初演の辰之助は忘れられがち。
運、不運て有りますね。

361 :重要無名文化財:04/04/09 14:36
>360
55年3月 忍ぶの惣太。覚えてます覚えてます。
権十郎の按摩・宵寝の丑市も良かったですねえ。
最後 おまんまの立ち回り、菊五郎「峰蔵、茶だ」に惣太から
変わった辰之助の峰蔵が土瓶を差し出して幕。
見たかった演目を遂に見た。嬉しかったです。
忘れてなんかいません。今でも、姿が蘇る。
私にとって、辰之助と言えばコレですね。


362 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/09 15:14
>>173さん、ご遠慮なさらず、どんどん書き込んで下さる事を
切にお願い申し上げます。
もちろん、他の皆さんの熱いレスも大歓迎です。

何といっても、歌舞伎はスパンの長い芸能ですから
運が悪いと一生見ることの出来ない芝居があったりします。
そんな時頼るは諸先輩方の思い出話だけです。
今後とも大いにカキコして、後発組の我々を羨ましがらせて
下さいますよう。

363 :272:04/04/09 19:41
359,362 御両所、良いこと言ってくれますね、わっしも嬉しくなっちゃう。
173 さんの言われる「スレの性質上、良かった、上手かっただけでは〜〜」ですよ。
 蝙蝠安じゃないけれど<俺がついてる しっかりやれ しっかり書け>ですよ。



364 :272:04/04/09 22:37
昭和の六名優とは一寸年齢も上で、小じんまりと一座を構え別格扱いの(客演の形も多かった)
2代目猿之助=猿翁のことは、どなたも触れておりませんでしたね。
私は修善寺物語の夜叉王<共演は寿海、時蔵、段四郎、団子、南京豆の荒次郎等々でしたか>
AND 黒塚"を即座に思い出すのですが、諸先輩のプラスの書込みをお願いしたいのですが。



365 :重要無名文化財:04/04/09 23:20
最晩年の招魂社見ましたよ。寿海とのコンビで。
立回り、肩で息してておかしいなと思ったらその後病床に。

段四郎と親子で二人三番叟。これはまだ元気な頃で
相似形なのに違いもあり面白かったです。
勧進帳や弁慶上使の弁慶、たしか靱猿の女大名なんてのも見てます。


366 :173:04/04/10 15:16
皆さん。ありがとうございます。
正直な事を言いますと、ここ数年昔程夢中にはなれなくなっていたのですが、
このスレのお陰で色々と思いだし、新たな観劇意欲が湧いてきました。
皆さんの為だけでなく、自分の為にもボチボチと思い出を語りたいと思います。

昭和55年3月国立劇場  都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)忍ぶの惣太
忍ぶの惣太・木の葉の峰蔵 辰之助 傾城花子実ハ吉田松若 菊五郎 
葛飾十右衛門 三津五郎(蓑助)按摩宵寝の丑市 権十郎 惣太女房お梶 先代門之助

序幕、長命寺堤の梅若殺し
辰之助は紫紺地に、流水に桜と都鳥の衣裳の男伊達の扮装なのですが、この優らしく、
15世羽左衛門の爽やかな男伊達(見た事は有りませんが)とは、少し違うと
感じさせました。
故主の為にお金が欲しい。そのお金を行きずりに介抱した子供(実は故主の息子)が
持っている。相手がお金を持っていると知っての
「はて、あるところにはあるものだなぁ」との述懐。良かったと思います。
とど、誤って梅若を殺してからお約束のだんまり。花子 丑市 十右衛門 と絡んで幕。
幕切 菊五郎の花子が花道を引っ込むのですが、この菊五郎が素敵に良かったと
思います。手ぬぐいを吹き流しの女郎のなりで上手から出て、三人と絡んで花道へ。
本舞台へ思い入れ有って傘を(丑市が持って出た)開き顔を隠すように引っ込み。
胸のすく幕切れでした。

367 :173:04/04/10 15:17


菊五郎の花子実ハ吉田松若は、この序幕の引っ込みといい、二幕目の惣太内での
惣太がメ○ラなのを良い事に丑市といちゃつくしたたかさ、終幕での丑市殺しの色気と
凄み、それでいて吉田の嫡男という高貴さを失わない。有る意味弁天小僧以上の
はまり役ではと思います。
再演(昭和57年10月歌舞伎座)の時に、丑市殺しの見栄に客席から
「かぁっこいい〜〜!」との声が上がったのもむべなるかなと思いました。

368 :272:04/04/11 01:44
>>365 黙阿弥の引退作(島ちどり)ですね、よろしかったでしょうね。 朗々とした寿海、同じく猿翁も高低の科白廻し 
 口跡も心持ちよく、両優とも二代目左団次系、綺堂の新歌舞伎に本領発揮でしょうか。
 猿翁の綺堂ものでは修禅寺の他、甲州街道、内藤新宿の没落の原因と繁栄を描いた“新宿夜話<ダメな弟を切腹に追い
 やらざるを得ない苦渋の武士 斎藤某の懐古、共演は段四郎>適役で数回演じた記憶、今でも受けるテーマと思いますが
 その後、十三代目松嶋屋、我当 親子コンビ以後 滅多に上演されませぬ。


369 :age:04/04/11 13:01
80代の方はじめ皆様、 X代目00丈に間に合ったのでしょうか? 私は初代播磨屋

370 :重要無名文化財:04/04/11 21:52
ワシは三代目家禄

371 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/11 22:31
>>370さん、三世中村歌六丈って
369さんが間に合った初代吉右衛門丈と勘三郎丈、
対照的な2人の役者の父親ですよね。
写真を見て、顔は中村屋に瓜二つなので驚いた記憶が。
芸風は、愛嬌たっぷり、それとも写実で厳格、
どちらだったのでしょう?
 

372 :重要無名文化財:04/04/12 00:07
三世中村歌六、大正8年(1919)没、享年71歳。
年表見たら、松井須磨子と同じ没年だった。
母の膝に抱かれて見てる人がいるかどうか。
記憶にあるかどうか。
ギリギリの存在ですね。

373 :GINZA:04/04/12 00:20
マジレスしてみます。 歌六は三階、物故俳優の始めの方に出ていませんでしたか、
大正10年頃亡くなっています。50回忌追善興行を勘三郎が主宰、その時、
中村屋が沼津の平作をひょうひょうと演じ感心しました。(十兵衛は先の幸四郎)
数年前、勘九郎も同じ汚れの爺さん役を、次の幕に可憐な藤娘に変身し又また感心しました。


374 :GINZA:04/04/12 00:52
レス書いている間、先を越されました。372さん大正八年没というと、観ている方は少なくとも
90才以上でしょうか、アンビリーバブル。マジ!

375 :重要無名文化財:04/04/12 00:57
私は先代の猿之助ですね・・。
歌右衛門の戸無瀬で本蔵を勤めた舞台が
印象に残っています。芸風が大きかった人でした。

376 :重要無名文化財:04/04/12 03:58
遅ればせのレスで申し訳ないのですが、
辰之助といえば、
私にとっては、イヤーゴ。
松緑のオセローより、玉三郎のデスデモーナより、
イヤーゴに尽きる『オセロ』でした。
いきいきとした動き、活け殺し自在の科白回し。
素晴らしかったです。
演技者としてすごい才能をもちながら、
それを歌舞伎に生かす方法を見つけられないうちに、
この世を去ってしまった。
そんな気がします。



377 :重要無名文化財:04/04/12 19:23
>>348です。349さん同じ時期に見ていたのですね、私は
前にも書いたのですが、スポンサーのバーちゃんが健在で
私もヒマだった学生のころの数年間が一番みていました。

考えると小屋の収容人数x興行日数の人数が生で接した
人なんですね。

GINZAさん、>>351の「めぐみの喧嘩」は若い衆の役で
当時の若手がゾロゾロでていませんでしたでしょうか?
なんかそれが見たくていったようなきがします。

378 :GINZA:04/04/12 23:32
筋書によりますと(当時の名で)鳶=菊之助、辰之助、簑助、菊蔵、半四郎、慶三、竹松、正之助。八十助、
  市蔵、亀蔵、等ーー−25名ほど
 角力取り=緑也、薪水、小伝次、銀之助、多賀蔵、金十郎、菊十郎、権一、佳緑、白蔵、三津三郎、等々


379 :重要無名文化財:04/04/13 00:40
>376さん
それって「松緑が途中病気休演だかで、権十郎が代役した。わけの
わからんまま勤めて、トニカク立派だった」という、あの有名な
オセローですか?御覧になっておられるのですか!
オセローもデスデモーナも、も少し詳しくお聞かせください。
もっと羨ましがらせてください。

380 :重要無名文化財:04/04/13 00:43
>378
見てるんだけど。
今となれば、角力取りの方が貴重ですね。
小伝次・多賀蔵・金十郎・白蔵......もっと一所懸命
瞼に収めておけば良かった。昭和46年!高校生でした。

381 :重要無名文化財:04/04/13 01:07
376です。
379さん、反応してくださってうれしいです。
ご要望に応えて大いに語りたいとこなんですが、
松緑と玉三郎に関してはめちゃくちゃ印象薄いんです。

玉三郎は、平幹とやったマクベス夫人の方が強く記憶に残っています。
夫けしかけておいてさっさと気が狂って、
ひとりあっち側に行っちゃう。その勝手ぶりに
マクベス夫人という女の本質がくっきり描き出されていました。

オセローの記者会見で、玉三郎に記者の関心が集中して、
松緑が主演に対し無礼だと激怒した、という事件がありましたから、
デスデモーナ玉さんは萎縮していたのかもしれません。
なんか地味でした。
むしろ印象に残っているのは、木の実ナナ。
たしかデスデモーナの侍女でイヤーゴの妻、という役。
手元に資料がないので間違ってたらごめんなさい。
辰之助&ナナのカップルのパワフルな演技で、
芝居がもってたという記憶があります。





382 :重要無名文化財:04/04/13 01:34
>376・381さん
早速の御返事を賜り、ありがとうございます。
そうだそうだ、松緑が激怒して「仮病か」と噂されたんですよね。
あのオセローを御覧になってる!一生の財産です。

歌舞伎役者の赤毛って、貴重で嬉しいものがありますね。
演劇界の写真で「ベニスの商人 ポーシャ 中村芝翫」
とあるのを見る度「一体どんなだったんだろ」何時も
思う私です。

379拝

383 :173:04/04/13 01:58
>>391さん。
オセロー 見たかったんですけれど見損ねました。羨ましいです。

玉三郎のマクベス夫人の感想ありがとうございます。
当時歌舞伎の女形がシェークスピアを演じると言うので評判になりましたよね。
私が歌舞伎に魅せられるきっかけになった公演です。歌舞伎も、女形も、なんの
知識もなかったのですが、世間の評判につられて見に行きました。
見てびっくりしました。とても男の俳優とは思えなかったからです。
もちろん、女優には見えませんでしたけれど、男とも思えませんでした。
特に終幕近く、自責の念から幻覚を見て狂乱のマクベス夫人。
自分の手が血まみれになっていると、必死に両の手をすり合わせ
「両手の血すら消えないわぁ」
と叫んで海老ぞりになる(当時は海老ぞりと言う言葉すら知りませんでした)
衝撃でした。こんなスゴイ演技術を持つ女形のいる歌舞伎ってどんなに
凄いんだろう。実際の歌舞伎を見てみたい。
そう思ったのが観劇のきっかけでした。

384 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/13 09:15
>>173さん、歌舞伎を観るようになったきっかけが
「マクベス」の玉三郎丈だったとは。これこそ運命の出会いですね。
他の皆さんの(運命の出会い)は誰の、どんな芝居でしたか?


385 :重要無名文化財:04/04/13 12:00
>384さん
忠臣蔵の猪。あのテケテンテケテンの太鼓に「芝居って面白い
なあ」と思いました。勘平は勘三郎だったのかなあ。死ぬまで
ヤタラ長くて閉口した。天川屋義兵衛(8世三津五郎)が荷物
の上で見得をする場面があり、これは面白かったです。
けど、ヤッパリ猪だな。
これが40年以上に亘る、私と芝居の最初の出会い。
当時、小学生でした。


386 :重要無名文化財:04/04/13 13:21
私は、昭和53年(でしたか)歌舞伎座、中村歌右衛門の
京鹿子娘道成寺。「間に合った」と思いました。
花道・舞台でのカドカドの見得にもゾクゾクした。
本興行で通して踊ったのは、これが最後だったのでは?
義太夫・長唄も結構なものでした。

387 :重要無名文化財:04/04/13 15:29
>385さん
確かに、忠臣蔵の通しの「夜の部」を見れば、最初に出てくるのは
イノシシだ。「昼の部」の大序から見たら、どんな印象を受けたで
しょう。「口上人形が面白かった」で、ヤッパリ歌舞伎が好きに
なってましたよね。

388 :173:04/04/13 21:26
>>386
歌舞伎座じゃ最後だね。
その後同じ年に中日劇場で踊ってる。
歌右衛門の道成寺は絶品。

389 :重要無名文化財:04/04/13 23:02
その歌舞伎座の道成寺、よくNHKで流れる物?

390 :重要無名文化財:04/04/13 23:11
>173/388さん そして皆様
@中日劇場ですか。御園座じゃないんですか。
舞踊公演でも、あったんですか?
A歌右衛門が通して道成寺を踊った最後は何時でしょうか?
「池袋サンシャイン劇場のこけら落としかな」と思っている
のですが..... 合ってるかどうか。

御存知でしたら、お教えください。

386拝


391 :173:04/04/13 23:38
>>389さん。
そうです。追悼番組でも放送しました。

>>390さん。
中日劇場のはチャンとした公演です。
詳しくは、今手元に資料がないのですが、昭和40年後半から50年前半に
かけて、毎年六月に歌右衛門が座頭の歌舞伎公演をやっていました。
Aはそのとおりです。

392 :重要無名文化財:04/04/13 23:44
>>390
以前は毎年のように中日劇場に歌右衛門が来てましたよ。

393 :173:04/04/14 01:12
三世河内屋ふぁんさん。
歌右衛門丈の歌舞伎座最後の道成寺は、弥作の鎌腹と同じ月の公演で、
延若さんも所化で出ていました。
花子との問答も丁寧で、おっとりした味わいが良かったと思います。
ただ、劇評にも書かれていますが、襲名でも追善でもないのに所化に出る。
そんな所に延若さんの置かれた損な立場が出ているんですね。

394 :重要無名文化財:04/04/14 08:55
>>173さん、え〜ッ、河内屋が所化で!?
それは知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。
たしかに、襲名でも追善でもないのにご馳走というか、
都合よく使われているというか(泣)・・・
でも、損な役でもけっして手を抜かず努力を惜しまない
延若丈の芸風だからこそ頼まれたのだと、良い方に解釈しておきます。

395 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/14 09:00
>>394 です。ハンドル忘れました。

396 :我童ひとすじ:04/04/14 09:32
中日では、健礼門院、隅田川、伊勢音頭、糒倉、道成寺・・・なつかしゅうございます。

397 :重要無名文化財:04/04/14 11:42
>391・392さん
ありがとうございます。御園座舞踊公演みたいなものだと
思ってました。あの宝塚や座長芝居の中日劇場で、大成駒
が毎年定期的に.....!驚きました。
390拝

398 :重要無名文化財:04/04/14 13:14
その道成寺、雀右衛門や芝翫も所化で出てませんでした?

399 :重要無名文化財:04/04/14 14:20
大幹部、中堅、若手と錚々たる顔ぶれ、雀、しかん、吉右衛門・・・・吉五郎も
高位置をキープしてましたし、なにしろ河内屋はトップでした。

400 :173:04/04/15 01:20
>>394
三世河内屋ふぁんさん。
熱いご贔屓ですね。延若さんも泉下で喜んでらっしゃるでしょう。

玉三郎さんに惹かれて観劇を始めたんですけれど、見始めて程なく玉三郎さんは
滅多に歌舞伎をやらなくなってしまって。
オセローはまだしも、椿姫なんてなると、無理しても見たいとは思えなかったですね。
もっとも、そのお陰でなんとか名優の尻尾を捕まえられたんですけれど。

ですから、玉三郎さんの舞台は歌舞伎以外の色々な公演を見ていますし、
玉三郎さんに陰のように付いていた弥五郎さんも、思い出深い役者さん
ですね。過去ログで誉められていて嬉しくなりました。
源氏店の籐八は何回も見たし(当然のごとくお富との息はぴったりでした)
文七元結の角海老の若い者、桜姫の山女衒、法界坊の番頭。
珍しい所では、滝の白糸の水芸の後見、貴妃酔酒の宦官。
柄は小さかったけれど、客を逸らさない楽しい役者さんだったと思います。

401 :重要無名文化財:04/04/17 09:12
皆様、はじめまして。
以前から拝見していましたが、ようやく私にも参加できそうな話題が出てきました。
松緑さん、玉三郎さんのオセロです。
といっても親に連れられていったので
松緑さんの足が悪くて、痛々しかったのくらいしか覚えていないんですが。

それから都鳥ですが、私も菊五郎さんの花子実は松若は最高の当り役だと思います。
あの方ほどあの役にぴったりな役者さんはなかなか出てこないでしょう。
けれども彼自身はお飯の立ち廻りで足にご飯がベタベタついたりするのが嫌いで
あんまりやりたくないと何かに書いていらっしゃいましたが、とても残念に思います。

402 :173:04/04/17 13:15
>>401さん。初めまして。
難しい問題ですね。贔屓の見たい役と、役者の演じたい役が必ずしも
同じではないんですよね。
それと役者の成長で演じなく役も有りますものね。
上記の玉三郎さんの他へ客演した役々なんかも、歌舞伎の立女形になった
今では二度と演じはしないでしょう。見て置いて良かったです。
皆さんのそんなお役、舞台を聞かせて頂きたいですね。
名優のものばかりでなく、今現在活躍している方の若い時のお役なんか
お聞きしたいです。

403 :重要無名文化財:04/04/20 09:40
芸術座閉館ですな。東宝の劇場だから歌舞伎とは縁が薄いけど、
染五郎・万之助兄弟が勉強会やったりしてるんですよね?
古い小屋がなくなるのって寂しいな。

404 :重要無名文化財:04/04/20 11:08
age

405 :重要無名文化財:04/04/20 11:49
芸術座閉館、感無量、一の宮あつ子、菊田一夫・・・兄弟勉強会、又五郎先生、、、涙。

406 :重要無名文化財:04/04/21 09:37
>401・402
其の人は居ても、あの役は見られない。確かに多いですね。
玉三郎の多種多様な客演を見ておられる方が羨ましいです。
見られないと言えば.....見たかった けど見られなかったのが、
歌右衛門の雪姫と時姫。八重垣姫は、昭和50年代にも何度か演じたのに
この2役は勤めなかった(ような気がする)。
何時が最後だったのか、演じなくなったのには「何か理由があった」のか。
御存知の方、お教えください。



407 :重要無名文化財:04/04/21 12:34
>>406さん。
はい、確かに雪姫、時姫は演じていませんね。
ざっと調べたのですけれど、
雪姫は昭和51年1月歌舞伎座
時姫は昭和45年4月歌舞伎座
が最後のようです。
演じなくなった訳は解りませんが、雪姫、時姫は壮年になってからは
あまり演じていないみたいです。
それ以前も昭和40年代は、雪姫を昭和41年10月帝国劇場の二代目
吉右衛門襲名公演に演じているだけのようです。
出典 演劇界増刊 女形六世中村歌右衛門

408 :173:04/04/21 12:38
↑名前を入れ忘れました。

この増刊号の年表によると、昭和40年代の歌右衛門丈の役々は、実に
充実しています。
ご覧になっている方はいらっしゃるでしょうか?

409 :重要無名文化財:04/04/22 14:27
>407さん
早々の御返事を頂き、ありがとうございます。
昭和51年の雪姫、見逃しちゃってます。口惜し〜い。これからも「桜と歌舞伎」的
特集に必ず登場する アノ写真を見ながら 口惜しい口惜しいと思い続けることで
しょう。
昭和40年代の歌右衛門、見てます見てます。
城門の上に現れた瞬間 香り立つようだった国姓爺の錦祥女、力が籠もって凄味が
あって 最後パッと素に戻り御挨拶した(これ素敵でした)日本振袖始の八岐大蛇。
この2役が 殊に印象に残ってます。
また、この頃は中村鴈治郎が元気で、よく歌右衛門の相手役を勤めてました。
千代萩で八汐、重の井子別れで竹村定之進、吉野川なら蘇我入鹿。
とにかくコクがあって、面白かった。鴈治郎が居るか居ないかで、舞台の厚みが
全く変わりました。
ほんと、あんな沢山「曾根崎心中」やる暇あったなら、もっと珍しい外題・面白
い役を見せて欲しかったですね。

406拝





410 :お懐かしや:04/04/23 00:15
ついさっきまで歌舞伎チャンネルで、「巷談宵宮雨」をやっていて、懐かしかった。
勘三郎の竜達。吉と芝翫の太十夫婦。子團次の薬売(これが泣ける)、早桶屋女房が源之助。
中村屋の面白さは生で見たことない人にはわかるまい。お気の毒に。
あの何倍も面白かったんですよ、実物は。

ところで、もう一つ懐かしかったのが、大向こう。
中でもひときわ大きくて威勢がいいのが、確か森さんとか言ったご老人。
白髪の角刈りで、夏は浴衣がけ、私のような若僧にはずいぶん親切にしてくれましたっけ。

で、今回再確認したのは、森さんは、本当にいい芝居のところで声をかけてますね。
役者がここぞという芝居をしているところでかけてますよ。
宵宮雨は新作世話物で、役者もいちいちきまらないから一見変なところでかけているようだけど、
はずしていない。本当にお眼鏡に叶ったところを褒めている感じ。
よっぽど好きだったんでしょうね、芝居が。
ほかの人もおしなべて上手ですね。あのころは。
思えば、成駒屋の芝居でも中村屋の芝居でも、森さん(だったかな)の大向こうがせりふとセットで
記憶されているような気がします。

以上「思い出に残る名舞台」の番外編でした。


411 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/23 09:58
>>410さん、「宵宮雨」自分も観ています。
勘三郎丈の特技?のひとつ、指先を器用に動かすところ、
この芝居でも、手の甲をボリボリ掻くしぐさとか。
テレビで見たら何てことはないんだろうけど、
生の舞台で大中村がやるとつい笑っちゃうんですよね。


412 :重要無名文化財:04/04/23 18:54
坂東吉弥についていろいろききたいです、合掌。

413 :カワサキヤ:04/04/24 01:23
410お懐かしや様
さすがの卓見です。大向こうの神様、森正次さんの声は、何といっても別格でした。
晩年は神楽坂の料亭「和光」の大旦那でしたが、お若い頃はペンキ職人もなさり、東京タワーの塗装にも頭の格で参加されています。
大正10年、歌舞伎座が漏電から焼失した日、森少年は親方から仕事を命ぜられ丁度、いまの三原橋の交差点へ自転車でさしかかると、
歌舞伎座が火事という状況。仕事道具を投げ出して、消防団と一緒に消火にあたったこともあったと、ご本人から伺いました。
NHKの放送でもCDでも森さんの声だけは、必ず舞台に届いているので、きちんと録音されています。また、劇場の案内嬢にも必ずお菓子や
心づけの品を(南座の顔見世でも)さりげなく渡しておられる姿も何度も拝見しました。歌舞伎のために生まれてきた方です。
神楽坂の「和光」もいまは看板が変わりました。TBSでしたかに、亡くなる直前に偶然番組のクルーが散歩している森さんの、あまりの粋な姿に
取材を申し込み、「和光」の座敷で見事な声を聞かせる場面のテープがあったのですが、直後に亡くなられたので、放送はされませんでした。
日経新聞の文化欄に一度ご本人の取材記事が大きく載ったこともあります。

414 :173:04/04/24 02:45
吉弥さんが亡くなったんですね。
まだそんな年齢ではないのに、歌舞伎界は、又、貴重な脇役を失ったんですね。
   ………… 合掌

吉弥さんについては、何か重宝に使われた役者さんてイメージが強いです。
歌舞伎座の大歌舞伎では軽い脇役ばかり(見ているはずなのにあまり印象に
残っていません)猿之助さんのスーパーカブキや、八月の納涼歌舞伎の脇。
若手の重しにはなっているんでしょうけれど、気の毒な配役も多かったです。
経歴にも拠るんでしょうけれど(若い時テレビに行っていた)時代ものの
敵役をやっても、義太夫味は薄かったと思います。
逆に、生世話物、新歌舞伎の役をやると、粘ついていたように感じられました。
そんな持ち味が合ったのか、近松の世話の役、曽根崎心中の九平次、
天網島の五左衛門なんかは良かったと思います。
舞台に対しての姿勢は真摯だった思います。どんな役も手は抜かない。
周りの層が薄くなって、やっと脇の大きなお役が回るようになって来ての
急逝って感じですね。残念です。

415 :重要無名文化財:04/04/25 17:53
>410
>子團次の薬売(これが泣ける)

本当に泣けますね。
歩き出し立ち止まっての
「あにいよ、おいらな〜」
でぼた餅のやり取りと全く違う悲痛な声音を聞かせ
「また寄せてもらいやす」
でさっきまでの調子に戻っての軽妙さ。
こういうのを上手い芝居と言うんだと思います。

416 :重要無名文化財:04/04/26 17:43
>>414 173さん
 訃報スレにあったたくさんの書き込みより、
吉弥さんを偲ぶにふさわしい文章でした。
私も、吉弥さんベストワンは、曽根崎の九平次。
ちょっとナマな感じがあの芝居の肌合いによくあってました。
一方、コクーン四谷怪談の宅悦、今の歌舞伎界では、
まだしもこの人なのだろうなとは思いつつも
どうにも違和感を感じてしまう科白廻しでした。
あのクセのある声が、近頃「味」に変じつつあっただけに残念。 

417 :重要無名文化財:04/04/26 19:44
>>416
訃報スレで非常識な事書いたのは藻前か

418 :重要無名文化財:04/04/26 21:29
>415
そういや、甘苦が竜達演る時に
この役なんか吉弥さんにぴったりだったかもね。

419 :173:04/04/26 23:39
>>416さん。
ありがとうございます。
吉弥さんの亡くなったのは残念ですけれど、こうして皆さんに追悼されているの
ですから、故人も持って瞑すべきではないでしょうか。
弟の弥十郎さんが、吉弥さんの味わいを継いでよく似ているので、吉弥さんの
役々(脇役では失礼かも知れませんが)を継いでくれるのではと思います。
思い出に蝙蝠安も入れようと思って配役を確認したら、弥十郎さんだったので、
チョットびっくりもしました。

420 :173:04/04/26 23:45
四谷怪談の宅悦。難しいお役ですよね。
今誰がって聞かれるとチョット浮かばないです。
もっとも、四谷怪談自体お岩様が出来る優が少ないので、歌右衛門丈、玉三郎さん
の2度しか見ていませんので、比較も歌右衛門丈の時の延若さん、玉三郎さんの時の
左団次さんの二人ですが、格段に延若さんの印象が強いです。

大成駒一世一代の四谷怪談 昭和54年10月歌舞伎座
お岩・小佛小平・小平女房お花 歌右衛門 伊右衛門 団十郎(当時海老蔵)
直助権兵衛 羽左衛門 佐藤与茂七 梅玉(当時福助)お袖 芝翫 
と言う配役の中での 按摩宅悦 延若 
本来ならば、伊右衛門も、直助権兵衛も、本役でやれる優なのでしょうから、
宅悦を絶賛される事は、延若さんには不本意かも知れませんが、この時の宅悦は
まだ歌舞伎を見始めて程ない私にも、素晴らしさの良く分かる好演だったと思います。

421 :173:04/04/26 23:49
按摩で地獄宿(私娼窟)の主で口入れ屋という南北特有の得体の知れない人物を
活写していたと思います。
浪宅の場で甲斐甲斐しく粥を炊いたり、赤子をあやしたりする仕草。
伊右衛門に、お岩に偽りの不義を仕掛けろと脅され
「引き受けまする。引き受けまする」と承知する具合。
お岩様に崩れた顔を、鏡を持たせて無理矢理見せつける姿の良さ。
毒薬で相好の崩れたお岩様の髪すきでの恐がり具合。

とど、お岩様が誤って刀で絶命して、鼠が赤子を銜えて走り去る。
下駄を引っ掴んで花道へ。伊右衛門と突き当たり
「どうした」と問われて、大きく前で腕を回して、下駄をカチンと言わせ
「大きな鼠がぼっちゃまを!」
と叫んで、そのまま下駄をカタカタと鳴らしながら、脱兎のごとく花道を入る。
あっけにとられる伊右衛門。

目に焼き付いています。

422 :重要無名文化財:04/04/27 09:03
>>173さん、大成駒の「四谷怪談」かぁ、観たかったです。
大幹部総出演のこの座組なら、河内屋の宅悦でも受け止められるでしょう。
延若丈は、律儀な役はもちろん一癖ある小悪党も妙にはまる人で。
ご本人も「そういう役好きなのよ」ってよく言ってましたし。





423 :三世河内屋ふぁん ◆F3dsoI/kaU :04/04/27 09:05
422です。またハンドル忘れました。

424 :重要無名文化財:04/04/27 09:45
大成駒の「四谷怪談」、たまたま所要あって楽屋の廊下を歩いて
ました。上半身をスカーフのような布で覆った人物とすれ違い...
これが出を前にした成駒屋さん。うつむき加減に歩いておられ、
顔は全く覗けなかった。そうそう、宅悦は延若でしたね。
ところで、吉弥さんと言えば 蝙蝠安が印象に残ります。
羽左衛門丈(だったと思う)の言葉に、髪結新三の大家・くわ
んぺら門兵衛など脇役の大役は脇師の目標とすべきで「安易に
御馳走で出るものではない」てえのがあります。これがずっと
気に掛かってまして...御馳走を否定したら歌舞伎はつまらな
い。かと言って何時も御馳走じゃあ、吉弥さん達の立つ瀬がない。
どんなものなんでしょう。特に「くわんぺら門兵衛=昔は大看板
は勤めなかった」というのは本当なんでしょうか?御存知の方
おられたら、お教えください。



425 :173:04/04/27 13:10
肝心の大成駒の感想はって聞かれそうですけれど、正直、私のレベルでは
感想程度でも書きづらいです。
あまりにも大きすぎると言うのも違う感じで、なにか表現のしようがないって
感じです。
このお岩様にしても、伊藤家への薬の礼を三度もしたとか、薬を飲みきるのに
10分掛かったとか言われていましたが、確かに、これでもかって押して来る
演技は丈だけの表現力で、他の役者が同じ事をやったら、くどいだけでしょう
けれど、それを感じさせない、疑問に思わせない、丈だけの舞台だったと思
ます。

初めて見た歌右衛門丈。
田舎源氏の二役。藤の方と東雲
お部屋様はともかく、東雲はとさかの馬の尻尾で格子の衣裳(本格の悪婆のなりは
これが最後のはず)
古寺の場などは、ただただスゴイものを見た。見てしまったって感想です。

426 :重要無名文化財:04/04/27 20:44
>>348です。173さんの書込みでおもいだしました。
歌右衛門のお岩さん、みましたわ、確か仕掛けも
評判になっていて、1等席のかなり前をとり、いったい
どのようになっているのか興味津々で観てました。

昔の劇場なら確かに怖い、でも歌舞伎座って結構明るいので
どろどろしてコワーというような感じといいうのは
なかったような気がします。現実が一番コワ!

私の芝居を見る動機って不純ですねぇ。

427 :銀座:04/04/29 17:55
当時、駆け出しの海老蔵を 大成駒が伊右衛門に大抜擢したとかの印象がありますね。
確か、お化けを描いた引き幕”を使っていたような記憶も〜。

428 :重要無名文化財:04/04/30 23:45
名場面で言うと、富雀、仁左玉、どちらでもいいが二人椀久の松山太夫の出。 満開の桜を後に松の大木の傍らで、椀屋久兵衛が寝そべっている所に、せり上がりから松山太夫。大好きです。

429 :重要無名文化財:04/05/08 19:32
ageときます

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